日本物理学会誌
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最近の研究から
ビスマス,原子サイズでチューリング・パターンを描く
伏屋 雄紀勝野 弘康
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2022 年 77 巻 12 号 p. 817-822

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抄録

コーヒーにミルクを入れると,最後には均質なカフェオレができる.拡散が系を均質化することは,誰もが日常生活を通してよく知っている.しかし1952年,数学者のアラン・チューリングは,この日常経験に反する驚くべき現象が起こりうることを示した.拡散によって系が“非”均質化し,パターンが形成されるのである.さらにチューリングは,生物における形態形成のメカニズムは,この拡散に誘発される非均質化にあると予測した.1970年代には生物学分野でチューリング・パターンの研究が加速し,キリンやヒョウ,熱帯魚など様々な生物の模様がチューリング・パターンとして説明された.1990年代には化学分野で溶液反応を用いて実験的にチューリング・パターンが確認された.

ところ変わって現代の固体物理学では,トポロジカル物質の研究が大変熱心に進められている.ビスマス原子1つ分の厚さしか持たないビスマス単原子層は,スピンだけの流れを室温でも生成できるトポロジカル物質の有力な候補として注目されている.2018年,スタンフォード大のグループが均質なビスマス単原子層の作製を試みる中で,これまで見たこともない奇妙な模様が原子レベルで現れていることを発見した.原子が描く模様の幅はわずか1 nmで,なぜそのように奇妙な原子模様が現れるのか,その理由は全くの謎であった.

ビスマス単原子層におけるナノスケールの奇妙な模様は,見た目の上では,熱帯魚の縞模様によく似ている.熱帯魚の模様はチューリング・パターンとしてよく説明できることが知られている.ならば,ビスマス単原子層の奇妙な模様も,チューリング・パターンとして説明できるのではないか? そう考えた我々は,原子層におけるパターン形成の理論研究を行った.

熱帯魚とビスマスの模様の見た目が酷似しているとはいえ,材質はもちろん,そのスケールが決定的に異なる.かたや幅約1 cm,かたや1 nm.7桁も異なるスケールが単一のチューリング理論でともに説明できるかは全く自明でない.我々は試行錯誤の末,ビスマス単原子層に本質的な三種の原子間ポテンシャルからなる有効模型を構築した.そこから得た時間発展方程式の数値シミュレーションにより,ビスマス単原子層で観測された模様と非常によく一致するパターンが形成されることを示した.さらに解析を進め,我々の時間発展方程式がチューリング・パターンの方程式と本質的に等しいことを数理的に証明した.すなわち,ビスマス原子が描く奇妙な模様の正体は,熱帯魚と同じ,チューリング・パターンであったことが明らかとなった.実際に観測されたチューリング・パターンとしては,世界最小である.

今回の結果は,チューリング理論がcmからnmまで極めて広いスケールで有効であることを示している.そればかりでなく,チューリング・パターンがソフトマターだけでなく,原子スケールのハードマター(固体)でもみられることが明らかになった.今回の発見は,これまで考えられてきたよりもずっと多くの対象でチューリング理論が有効であることを示唆している.さらに,固い単原子膜に傷をつけても,生物と同様に自然治癒する性質があることもシミュレーションによって示された.生命科学で見られる現象が,無生物の固体で見られたのは驚きである.本研究のほかにも,生命現象に類似した現象が無生物の固体で見出される可能性が高く,今後の展開に注目したい.

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