日本物理学会誌
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最近の研究から
ゲル化における浸透圧のユニバーサリティー
作道 直幸酒井 崇匡
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2022 年 77 巻 8 号 p. 535-540

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抄録

ゼラチン液が固まりゼリーになる,豆乳が固まり豆腐になる,牛乳が固まりヨーグルトになる.これらの現象は,ゲル化と呼ばれる.ゲル化は,溶媒中に分散する高分子がつながり,大量の溶媒を保持する巨大な高分子網目構造からなる固形物である「高分子ゲル」を形成することで起こる.高分子ゲルは,やわらかくウェットで,生体軟組織に近い性質を持つ.そのため,食品だけでなく,ソフトコンタクトレンズ・紙オムツの吸水剤・止血剤・癒着防止剤など,生体に接触して用いられる医用材料としても幅広く利用される.

高分子ゲルを食品や医療に応用する際,保水力や吸水力を決める浸透圧が重要となる.例えば,ヨーグルトを作ると,ホエー(乳清)と呼ばれる水分が染み出る.この現象は,ゲル化の進行によって系の浸透圧が低下したために起こる.ゲル表面からの水の染み出し(離水)は,食品の食感に大きく影響するだけではなく,摂食・嚥下障害者(口の中のものを上手く飲み込めない障害)用の嚥下食において,食べ物の誤嚥により細菌が気管支や肺に入ることで発症する致命的な誤嚥性肺炎の要因になる.そのため,ゲルの浸透圧の理解・制御は,応用上も大きな需要がある重要な問題である.

ところが,意外なことに「ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を決める物理法則は何か?」という基本的な問題について,実験結果を定量的に予測できるほどの理解はされていなかった.そもそも,ゲルの物性について定量的に理解されていることは驚くほど少ない.その理由は,通常のゲルは,作製プロセスに依存して決まる不均一な高分子網目構造を持つために実験の再現性が低く,網目構造の制御も不均一性の影響の評価も困難なためである.

我々は極めて均一で制御可能な網目構造を持つ高分子ゲル(テトラゲル)を用いることで,この不均一性の問題を克服した.また,動的なゲル化の進行過程を模倣した「静的なレプリカ」を系統的に作製することで,ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を高い精度で測定することに成功した.

我々は得られた大量の精密な測定データを元に「ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を説明する物理法則はなにか?」という問題に取り組んだ.この問題を解く鍵は,直鎖(つまり,枝分かれの無い)高分子溶液の浸透圧における状態方程式の普遍性(ユニバーサリティ)であった.浸透圧の普遍性は,1970年代から80年代にかけて,多くの実験および理論研究により確立された.その発端となったのは,磁性体の磁気相転移を想定したIsing模型(n=1)・XY模型(n=2)・ハイゼンベルグ模型(n=3)などのO(n)対称なスピン格子模型において,n→0の極限は,高分子鎖の格子モデル(自己回避ウォーク)に対応するという事実であった.ドゥジェンヌ博士はこの高分子・磁性体対応を用いて,溶媒中の高分子鎖の臨界指数をくりこみ理論で解析した.その後,臨界指数のみならず,直鎖高分子溶液の浸透圧についても普遍的状態方程式で説明できることが理論と実験で示された.我々は,高分子ゲルが「大量の溶媒に高分子網目が溶けたもの」であることから,高分子溶液の普遍的状態方程式は,ゲル化の進行過程でも成り立つと着想した.そして,ゲルの浸透圧の測定データに基づいて,ゲル化の進行に伴う浸透圧の低下を,普遍的状態方程式で説明することに成功した.

極めて均一で制御可能な網目構造を持つテトラゲルを用いて,浸透圧のみならず,弾性,膨潤ダイナミクス,破壊などの様々な高分子ゲルの物理が解明されつつある.高分子ゲルの基礎物理の全貌が明らかになる日も近いと期待される.

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