2023 年 78 巻 9 号 p. 542-547
格子振動(フォノン)は熱膨張に代表される構造物性に加えて誘電率などの光学特性,さらには電気抵抗率などの輸送特性に至るまで,さまざまな固体物性を特徴づけている.これらの物性は化学組成や結晶構造,そして温度や圧力などによって多様に変化する.この依存性を微視的に理解したり機能性発現を狙って制御したりするには,電子状態だけでなくフォノン分散や電子格子相互作用もあわせて定量評価することが重要となる.近年では密度汎関数理論(DFT)に基づく第一原理計算が日常的に行われており,計算機の能力向上と計算アルゴリズムの進化により,フォノン関連物性についても詳細な理論解析や非経験予測が実現しつつある.それによって,高圧下における水素化物高温超伝導体の予言など多くの成果が生まれている.
ところで,現在普及している第一原理フォノン計算手法には重大な適用限界がある.通常,原子核のゆらぎは原子間距離に比べて十分小さいとし,原子間ポテンシャルの非調和性を無視する調和近似が用いられる.調和近似は原子核が空間に静止している極限で正しいが,実際には原子核は熱的あるいは量子的にゆらいでいるため,原子質量が軽くゼロ点振動が大きな場合や熱ゆらぎによって安定化する高温相構造においては精度が悪化したりあるいは“イマジナリーフォノン”が現れてフォノン描像が完全に破綻してしまう.
この限界を解決するアプローチとして,1950年代に非調和性の強い固体ヘリウムのフォノン計算を行うために開発された自己無撞着フォノン(Self-consistent phonon, SCP)理論が近年再び脚光を浴びている.SCP計算には調和近似で必要な2次原子間力定数に加え非調和力定数が必要になることから,計算コストが高く,第一原理的な運用は困難と思われていた.ところが,非調和力定数はパラメータ数こそ多いものの物理的に重要なパラメータはその一部に過ぎないため,スパースモデリングによって効率的に決定可能であることが示され,SCP理論に基づく第一原理非調和フォノン計算が汎用的な手法として普及しつつある.
SCP法はイマジナリーフォノンの問題を解決し,これまで困難だった高温相のフォノン分散やヘルムホルツ自由エネルギーの効率的な計算を可能にする.例えばSCP法で計算した立方晶SrTiO3のフォノン振動数は非弾性中性子散乱実験とよい一致を示し,また調和近似では説明できなかったSrTiO3のバンドギャップの温度依存性はSCP法で非調和効果を考慮することで初めて理解できる.SCP法で得られた有効的な一体ハミルトニアンを出発点とし,そこにさらにフォノン–フォノン散乱効果を考慮することで,より高い精度でフォノンダイナミクスを記述することも可能である.この補正を行うことで,例えばハライドペロブスカイトCsPbBr3の立方晶–正方晶相転移温度の予測精度は大幅に改善される.
以上のとおり,SCP法に基づく第一原理非調和フォノン計算は,これまで困難だった有限温度でのフォノンや高温相のフォノンを非経験的に予測可能であり,汎用性も高い.より最近では,フォノンだけでなく有限温度での結晶構造最適化シミュレーションにも展開できることが示されている.これら一連の手法によって,通常のDFT計算では困難な有限温度での物性・構造予測や準安定相の機能開拓などが今後活発に行われるようになると期待できる.