日本物理学会誌
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78 巻, 9 号
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巻頭言
目次
交流
  • 中村 昇
    原稿種別: 交流
    2023 年 78 巻 9 号 p. 516-524
    発行日: 2023/09/05
    公開日: 2023/09/05
    ジャーナル 認証あり

    地球温暖化に伴う気候変動や,異常気象に関する報道が増えている.温暖化により異常気象が軒並み激甚化・頻発化するような論調が一部で見受けられるが,両者の関係は実はそれほど単純ではない.

    たとえば,海水面温度が上昇した場合,水蒸気の潜熱をエネルギー源とする台風が強大化することはおおむね予想される.しかし,台風の発生“頻度”は必ずしも上昇するとは限らない.温暖化による風の場の変化が,台風の発生に不利に働くことがあるからである.つまり,台風の発生要因は水蒸気量だけではなく,水蒸気量のみに基づいた頻度予想では不正確なのである.

    大気のカオス的性質により,決定論的な天気予報には限界があるので,気候の長期変動(平均値のゆるやかな変化)と異常気象の関係は,統計・確率的な相関から語られることが多く,内部力学(メカニズム)は自由度の高さゆえに看過されがちである.

    しかし,気象の動向まで含めた気候変動を見積もるには,平均値だけではなく,確率分布全体の変化を考える必要があろう.分布の裾野にあたる異常気象も含め,確率分布は日々の気象現象によるゆらぎの積み重ねなので,気候変動に伴う確率分布の変化を予測するには,内部力学の理解は避けて通れない.

    筆者の研究室では,中緯度の天気変化を特徴づける変数として,偏西風(ジェット気流)の蛇行に着目している.偏西風の蛇行と地上の高低気圧のあいだには密接な関係があり,通常,中緯度の天気は偏西風に乗って西から東へと移動していく.

    けれども,時おり,蛇行の振幅が局所的に増大して通常の天気伝搬が滞ってしまうことがある.この状態をブロッキング現象と呼ぶ.ブロッキング現象は,中緯度における異常気象(熱波,豪雨,旱ばつなど)の主因なのであるが,予報が難しいという問題がある.偏西風の蛇行自体は安定性理論に基づく理解が進んでいるが,なぜブロッキング現象が起こるのかは70年以上よくわかっておらず,温暖化との関連も未解明である.

    そこで流体力学の法則(渦位保存則)に基づいた偏西風蛇行の診断方法を開発してデータを解析したところ,蛇行の振幅と西風の風速のあいだには,強い負の相関があることがわかった.その結果,ブロッキングの発生には(1)偏西風の蛇行が局所的に増幅,(2)西風が減速,(3)蛇行の移動速度が落ち,上流の蛇行が追いついて振幅が蓄積し,さらなる増幅を生む,という正のフィードバックが重要なことが確認された.

    実は,これは高速道路で渋滞が発生するメカニズムと数学的に同等である.道路が混雑すると,運転者がブレーキを踏む頻度が増え,交通速度が落ちる.一定の交通量に達すると,一気に交通密度が増え,渋滞が起こる.偏西風をハイウェイになぞらえるならば,ブロッキング現象は天気の「交通渋滞」と考えることができる.制限速度や車線数が低い場所で交通渋滞が起きやすいように,山岳などの影響で偏西風が上流より弱くなっているところではブロッキングが起きやすい.

    これらの新しい知見に基づき,地球温暖化がブロッキング発生の条件および発生頻度にどのような影響を与えるか,目下鋭意研究中である.

最近の研究から
  • 泉 圭介
    原稿種別: 最近の研究から
    2023 年 78 巻 9 号 p. 525-529
    発行日: 2023/09/05
    公開日: 2023/09/05
    ジャーナル 認証あり

    もしブラックホール周辺の観測量をすべて知ることができるという究極に理想的な状況があったとすると,ブラックホールの諸定理を検証できるのであろうか? ブラックホール合体により生成される重力波の検出や,ブラックホール影の直接観測が報告され,ブラックホールは観測により検証できる時代になりつつある.一方で,ブラックホールの数理研究は1960年代ごろから行われ,一般相対性理論をもとに様々な定理が証明されてきた.しかし残念ながら,たとえすべて観測可能量を知っている理想的な状況であっても,観測から定理を検証することはできない.なぜならば,ブラックホールの諸定理では理論を構築する上で観測できない領域として定義されるブラックホールの存在を仮定しているからである.

    さて,ブラックホールは量子重力理論の思考実験場として用いられている.量子効果を考えるとブラックホールは熱輻射(ホーキング輻射)し,蒸発する.ブラックホールの諸定理とホーキング輻射とを合わせて,ブラックホール熱力学が構築される.この熱力学には情報消失問題と呼ばれる問題がある.情報消失問題の解決は量子重力理論を理解する手がかりと考えられており,超弦理論を用いた解析が進んでいる.しかし,情報消失問題の議論は蒸発の過程で情報が返ってくることを示すことである.情報が取り出せないブラックホールの存在を仮定して導いた定理を用いた情報消失問題の議論では,情報が取り出せないという仮定と情報が返ってくるという結論が矛盾するため,どこかに不具合が生じるであろう.

    ブラックホールの諸定理を観測または思考実験に対応できる形に改良するには,観測不可能な領域として定義されるブラックホールを用いず,定理や数理解析を拡張する必要がある.そこで,観測不可能な領域という従来のブラックホールの定義から離れ,一方で重力の特徴を上手に捉えた領域を定義し,その領域に対する定理の構築を試みよう.

    ブラックホール熱力学において,ブラックホールの表面積は系のエントロピーに対応する.系の状態数を示すエントロピーは系が持ち得る情報量を表すため,ブラックホールの表面積を通してエントロピーを理解することが情報消失問題解決の鍵であると考えられる.そこで,我々はブラックホール表面積に関する定理の一般化を行った.

    エネルギーを固定した系においてエントロピーに上限があることから,ブラックホールの表面積に対する上限値を与える不等式(ペンローズ不等式)が予想される.ペンローズ不等式の厳密証明はまだないが,同質な不等式の証明が数学者により与えられている.リーマン–ペンローズ不等式と呼ばれるこの不等式は,ある時間一定面上に埋め込まれた二次元閉曲面の中で,その面積が極小となる,つまり平均曲率が0になる面(極小曲面)に対する面積の上限を与える.極小曲面はブラックホール表面とおおよそ対応する.しかし,厳密にはブラックホール表面と一致しないため,ペンローズ不等式の完全な証明とはなっていない.そうではあるが,リーマン–ペンローズ不等式による面積上限値の存在から,極小曲面がエントロピー的に解釈される期待がある.ただ,極小曲面は一般にはブラックホール内に取り込まれていることが多く,先に議論したように観測や思考実験に対応できる形であるとは言い難い.

    我々は,リーマン–ペンローズ不等式に関して,いかなる弱い重力場に対しても適用できる一般化に成功した.我々の不等式はブラックホールの十分外側にある面に対しても適用可能であり,先に問題に挙げた観測や思考実験にも対応できる表式である.また,弱い重力予想などの強重力場で行われる量子重力理論の議論が,弱重力場中の面に関しても同様に行えることを示唆する.

  • 木俣 基, 雀部 矩正
    原稿種別: 最近の研究から
    2023 年 78 巻 9 号 p. 530-535
    発行日: 2023/09/05
    公開日: 2023/09/05
    ジャーナル 認証あり

    近年,物質中のスピンに由来して伝導電子の軌道が曲がる異常ホール効果や,磁気熱電効果の一種である異常ネルンスト効果が,次世代のスピントロニクス,エネルギー変換,センサ等の要素技術として大きな注目を集めている.このような磁性体の電気磁気応答は,スピンが一方向に揃った強磁性体で大きくなることがこれまで知られており,盛んに研究されてきた.一方で,スピンが打ち消し合うように配列した反強磁性体では正味の磁化が小さいため,直感的には大きな電気磁気応答の発現は期待できない.

    しかし近年,一種の反強磁性体であるMn3Snにおいて,強磁性体に匹敵する異常ホール効果が観測された.Mn3Snの自発磁化は,強磁性体の数百分の一程度であるため,この結果は,異常ホール効果の強度が磁化に比例するという従来の経験則を覆すものである.近年の理論的理解では,異常ホール効果の直接的起源は波数空間におけるベリー曲率であり,磁化は必ずしも必要ではないことが知られている.Mn3Snにおいてはトポロジカル電子構造に起因する大きなベリー曲率がその起源として提案されている.

    異常ホール効果の発現において必要となるもうひとつの要素が,時間反転対称性の破れである.例えば強磁性体の場合は大きな自発磁化によって時間反転対称性が破られる.一方,磁化の小さなMn3Snでは,どのようにして異常ホール効果を許容する時間反転対称性の破れが生じるのかについての理解は十分ではなかった.

    この問題に一つの解釈を与えるのがクラスター多極子理論である.この理論によればMn3Snの磁気構造はクラスター磁気八極子が向きを揃え,強的に配列した秩序と考えることができる.Mn3Snにおけるクラスター磁気八極子は正味の磁化がなくても時間反転対称性を破り,強磁性と同じ性質の対称性を持つことが示されている.クラスター多極子は従来から知られる原子に局在した多極子とは異なり,反強磁性磁気構造を複数のサイトにまたがって考えることで出現する自由度である.

    上記のように,Mn3Snにおける時間反転対称性の破れは,複数の副格子サイトにまたがる多極子を考えることで理解されている.しかし局所的な電子状態とのつながりは解明されていなかった.この疑問に答える実験手法の一つに,X線磁気円二色性(XMCD)を利用した分光法が考えられる.

    XMCDは磁性体に入射した円偏光X線の吸収係数が左円偏光と右円偏光で異なる現象である.X線吸収は基本的に原子で起こるため,これまで主に強磁性体を中心とした磁性体の局所電子状態の解明に広く利用されている.XMCDの起源には,スピンと軌道モーメントに加え電子軌道の異方性を反映した一種の原子多極子に起因する成分(Tz項)が以前から知られていた.しかし,通常の強磁性体ではその寄与はスピン等に比べて一般に小さく,着目されないことが多い.またTz項の起源である原子多極子とクラスター磁気八極子秩序の関係性も明らかになっていなかった.

    今回我々は,XMCDをMn3Snに適用し,Tz項に起因するXMCD信号が,時間反転対称性を破るクラスター磁気八極子秩序でのみ活性となることを明らかにした.

    この結果は,放射光X線による高次多極子秩序の新たな検出原理を実証するものである.クラスター多極子は,スピントロニクスやマルチフェロイクスに有用な物質機能の起源として近年注目されている.今回実証された多極子秩序の検出原理が,今後さまざまな物質機能の起源解明や新物質開拓の促進に寄与することを期待したい.

  • 青山 大晃, 虻川 匡司
    原稿種別: 最近の研究から
    2023 年 78 巻 9 号 p. 536-541
    発行日: 2023/09/05
    公開日: 2023/09/05
    ジャーナル 認証あり

    物質の性質を根本から理解するためには,原子の配列,すなわち構造を解明することが研究の第一歩であることは疑いの余地のないところである.ところが結晶の表面の原子配列は,現代の最新の計測技術を持ってしても,そう簡単には決めることができない.

    超高真空技術が開発されて表面物理学が発達した50年ほど前から,表面の原子配列を決めるために様々な手法が開発されてきた.結晶の場合,構造解析にはもっぱらX線回折が用いられるが,残念ながらX線は透過率が高いため厚さ1 nm程度の表面領域の構造を解析するためには,強く平行性の高い放射光X線を表面すれすれに入射するなど工夫が必要である.

    それに対して,電子は物質との相互作用が大きく表面感度が高いので表面構造解析には電子回折が用いられることが多い.しかしながら,高い表面感度と引き換えに,電子は結晶中で強く散乱されるために多重散乱が支配的になり,1回散乱で記述できるX線回折のように簡単に解析できない.そのため,実験パターンと計算シミュレーションの一致度を指標にして解析することになり,構造を直接的に得ることはできず,全く未知の構造を解析する場合に見通しが立たない.

    半導体として重要なSiの表面は古くから研究され,表面に複雑な再配列構造を持った超周期構造ができることや,異種原子が吸着/成長した界面でも多様な超周期構造が現れることが知られている.近年のトランジスタの立体構造化に伴い様々な方位のSi表面・界面をより深く知る必要が出てきているが,その理解はまだ不十分である.立方晶ダイヤモンド構造をとるSi結晶の基本的な低指数面として(001)面,(111)面,(110)面が挙げられるが,特にSi(110)面の理解が進んでいない.例えば,清浄なSi(110)表面では16×2と呼ばれる大きな単位格子を持つ表面超周期が知られているが,30年以上の研究にもかかわらず構造は未だに分かっていない.Si(110)表面では異種原子が吸着した界面の構造や,表面を構成する構造の要素すらもほとんど知られていない.

    真空中で成膜中の結晶などをその場で評価するために使われることが多い反射高速電子回折法(RHEED)であるが,高速電子のエネルギーの高さゆえ,波数空間を広く観察できるという特長を持っている.本研究で使用したワイゼンベルグRHEEDは,試料を回転しながら回折データを3次元的に大量に測定できる手法である.そのため,回折データを短時間で大量に測定できる特徴を活かすことで運動学的解析が可能とされる.

    本研究では,Si(110)表面上にBiを吸着させた表面の構造解析が行われた.その結果,パターソン図形を解くという非常に古典的な解析にもかかわらず,Bi原子4個を含め表面から約1 nmの深さまでの5原子層を構成する62個の全ての原子位置が高い精度で決定された.それぞれの原子間の結合長や結合角は,原子半径や電子軌道から予想される妥当な範囲に収まり,表面は完全に終端されダングリングボンドのない安定な表面構造であった.今回の結果は,構造モデルを試行錯誤で検討していたのでは到底たどり着けるものではなく,ワイゼンベルグRHEED法の運動学的な解析が有効であることを立証したものである.本手法は,SiやBiに限らず,より興味深い未知の表面構造への適用が期待できる.

  • 只野 央将
    原稿種別: 最近の研究から
    2023 年 78 巻 9 号 p. 542-547
    発行日: 2023/09/05
    公開日: 2023/09/05
    ジャーナル 認証あり

    格子振動(フォノン)は熱膨張に代表される構造物性に加えて誘電率などの光学特性,さらには電気抵抗率などの輸送特性に至るまで,さまざまな固体物性を特徴づけている.これらの物性は化学組成や結晶構造,そして温度や圧力などによって多様に変化する.この依存性を微視的に理解したり機能性発現を狙って制御したりするには,電子状態だけでなくフォノン分散や電子格子相互作用もあわせて定量評価することが重要となる.近年では密度汎関数理論(DFT)に基づく第一原理計算が日常的に行われており,計算機の能力向上と計算アルゴリズムの進化により,フォノン関連物性についても詳細な理論解析や非経験予測が実現しつつある.それによって,高圧下における水素化物高温超伝導体の予言など多くの成果が生まれている.

    ところで,現在普及している第一原理フォノン計算手法には重大な適用限界がある.通常,原子核のゆらぎは原子間距離に比べて十分小さいとし,原子間ポテンシャルの非調和性を無視する調和近似が用いられる.調和近似は原子核が空間に静止している極限で正しいが,実際には原子核は熱的あるいは量子的にゆらいでいるため,原子質量が軽くゼロ点振動が大きな場合や熱ゆらぎによって安定化する高温相構造においては精度が悪化したりあるいは“イマジナリーフォノン”が現れてフォノン描像が完全に破綻してしまう.

    この限界を解決するアプローチとして,1950年代に非調和性の強い固体ヘリウムのフォノン計算を行うために開発された自己無撞着フォノン(Self-consistent phonon, SCP)理論が近年再び脚光を浴びている.SCP計算には調和近似で必要な2次原子間力定数に加え非調和力定数が必要になることから,計算コストが高く,第一原理的な運用は困難と思われていた.ところが,非調和力定数はパラメータ数こそ多いものの物理的に重要なパラメータはその一部に過ぎないため,スパースモデリングによって効率的に決定可能であることが示され,SCP理論に基づく第一原理非調和フォノン計算が汎用的な手法として普及しつつある.

    SCP法はイマジナリーフォノンの問題を解決し,これまで困難だった高温相のフォノン分散やヘルムホルツ自由エネルギーの効率的な計算を可能にする.例えばSCP法で計算した立方晶SrTiO3のフォノン振動数は非弾性中性子散乱実験とよい一致を示し,また調和近似では説明できなかったSrTiO3のバンドギャップの温度依存性はSCP法で非調和効果を考慮することで初めて理解できる.SCP法で得られた有効的な一体ハミルトニアンを出発点とし,そこにさらにフォノン–フォノン散乱効果を考慮することで,より高い精度でフォノンダイナミクスを記述することも可能である.この補正を行うことで,例えばハライドペロブスカイトCsPbBr3の立方晶–正方晶相転移温度の予測精度は大幅に改善される.

    以上のとおり,SCP法に基づく第一原理非調和フォノン計算は,これまで困難だった有限温度でのフォノンや高温相のフォノンを非経験的に予測可能であり,汎用性も高い.より最近では,フォノンだけでなく有限温度での結晶構造最適化シミュレーションにも展開できることが示されている.これら一連の手法によって,通常のDFT計算では困難な有限温度での物性・構造予測や準安定相の機能開拓などが今後活発に行われるようになると期待できる.

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