抄録
【目的】 情動や学習・記憶の機能を担う大脳辺縁系は,地震・火災などの恐怖ストレス環境により,可塑性を起こしやすい部位として知られている.例えばPTSDのような生命の安全を脅かすようなトラウマは,単に心理的影響を残すだけではなく,脳に「外傷記憶」を形成することが明らかにされつつあるが,その発症メカニズムの詳細については不明な点が多い. 近年,神経伝達物質として注目されている一酸化窒素(NO)が,ストレス時の細胞障害に関与していることが報告されているが、本研究では,ストレスラットを用いて,in vivo及びin vitroにおいて,一酸化窒素(NO)の代謝産物であるNO2-,NO3-の測定を行い,ストレスとNOの生理作用との関連を明らかにすることを目的とした.【方法】1)海馬へのガイドカニューレ埋め込み:7週齢の雄性ラットを麻酔下にて,マイクロプローブ用のガイドカニューレを海馬に埋め込んだ.2)ストレス動物作製:手術1日後に回避学習用シャトルボックス内において電撃ショックを与えた(5秒間のブザー音の後、15秒間の電撃ショック,これを平均約15秒の休憩間隔をはさみ60回反復).3)無麻酔・無拘束in vivo マイクロダイアリシス:電撃ショックを与えた翌日に, 海馬にマイクロダイアリシス用プローブを装着し,リンゲル液で局所灌流して得られた潅流液を,NO分析システムにオートインジェクターを通し注入し,NO2-,NO3-の測定を行った。4)組織内NOの測定:2)と同様に作製したストレスラットを電撃ショックの24時間後に解剖し,摘出脳内のNOを測定した.対照ラットは,2日目のフットショックを与えず,他の条件はストレスラットと同一条件とした.なお動物実験は,広島県立保健福祉大学倫理規定に準じて行った.【結果および考察】1)NOマイクロダイアリシス:ストレスラットの海馬では,測定開始時より,NO2-及びNO3-ともにコントロールに比して高い値を示し,海馬の細胞から細胞外液へのNOの放出又は局所的な産生量の増加が示唆された. 2)脳内のNO量:脳各部位(海馬,線条体,脳幹部,大脳皮質,視床下部)のNO2-,NO3-は,in vivoの場合とは反対に,ストレスラットでは何れもコントロールより低値を示した. 一次的に脳内でのNO量の産生が亢進し,その後低下したことから,強いストレスによって特に脆弱とされる海馬細胞膜のNO透過性の亢進が惹起された可能性、あるいはNO生成の阻害が考えられ,海馬の可塑的な変化が示唆された.