抄録
【はじめに】我々の身体表象は,視覚情報と体性感覚情報などの異種感覚統合によって生成されると考えられている.したがって,感覚障害を呈する脳卒中片麻痺症例においては身体表象に変容をきたすことが推察される.今回,重度の感覚障害と半側空間無視(以下,USN)を呈した脳卒中片麻痺症例に対して身体表象の改善に着目し,認知運動療法を試みた結果,USNの改善と歩行能力の向上が認められたので報告する.
【症例紹介】平成18年3月に右視床出血を発症した75歳,女性.初期評価にて,Br.stage上肢IV-1,手指IV,下肢III-2,感覚は表在・深部ともに脱失であった.行動性無視検査(以下,BIT)では,通常検査89点,行動検査51点でUSNを認めた.機能的自立度評価法(以下,FIM)は54点で,座位・立位ともに保持困難な状態であった.発症後約3週目に平行棒内歩行を開始し,平行棒を把持している右上肢のつっぱりが強く,左下肢を振り出そうとする際に股関節内転し屈曲不十分・膝関節伸展位・足関節底屈位,左立脚期には反張膝となり,骨盤後傾・左回旋位をとっていた.また,歩行時の内省から「左の足が皆目検討がつかない」といった「身体所有感の消失」が考えられた.
【病態解釈】視床の病巣により外部からの感覚情報入力や関節の動きに伴った筋出力のフィードバックが困難な状態と推察された.また,空間性注意機能の低下が考えられ,身体を含めた左側空間からの感覚情報の入力を知覚することも困難であった.そのため視覚情報と体性感覚情報による異種感覚統合が不十分となり身体表象の変容が生じ,歩行能力などのADLの低下が引き起こされていると考えられた.
【認知運動療法】左側からの感覚情報が意識化されることで,身体表象が再獲得されるのではないかと仮説だて(1)左側身体からの感覚情報を意識化させる課題(2)左右の身体からの体性感覚情報を比較統合させる課題(3)運動イメージを想起させる課題を設定した.
【最終評価】Br.stage上肢V-2,手指V,下肢V-2,感覚は左上下肢ともに脱失のままであった.BITは,通常検査127点,行動検査61点に向上した.歩行は平行棒内にて軽介助となった.歩行時の内省は,「歩くには股関節と膝関節を曲げないといけない」「内側についてしまうときの感じがわかる」といった発言から「身体の意識化」へと変化した.FIMは80点に向上した.
【考察】本症例において,左側空間からの感覚情報を意識化させるような課題を実施することで感覚情報に注意が向けられるようになり,異種感覚統合や身体表象の改善が図れたのではないかと考えられる.また,運動イメージ課題を実施することで身体の動きを意識することが可能となり歩行の改善が得られたのではないかと推察された.