抄録
【目的】理学療法が学問なら、歴史を探求し、その範疇を表し、研究課題があり、それは科学的に解明されるもので、学問的に社会的に意義があることが必要であろう。しかし、理学療法の治療的技術とその基礎科学の探求、それらの保健領域への活用ということでは、実業としても研究においても、昨今の成果があることはいうまでもない。しかしながら、「理学療法」を問う哲学的、歴史的、または学際的検討は、保健分野等で他職種との関係について述べられること以外なされることは皆無と思われる。歴史については、リハビリテーション医学史としての古代ギリシャのコス派から始まり、中世以降の西洋医学的史観から語られることが多い。日本史的には中国からの漢方医学的に紹介されるにとどまっているのではないだろうか。そこで、今回は日本の医学としての貝原益軒の考えを「養生訓」を手懸りに検証してみたい。
【方法】資料は、「正徳本」およびその貝原篤信訳「中村学園大学編」をもとにした論考した。歴史的背景について、益軒は1734年の生誕であり、当時の西洋医学の水準は、ヒポクラテス医学より次第に現代医学へ推移する期間の初期であり、現代西洋医学の基礎の時代である。日本ではターヘルアナトミア(1734年)の出版前で、蘭学と漢方が競う前の時代であり、市井の医学は、医(薬草)、加持・祈祷、鍼灸、按摩が医学の中心でる時代である。
【結果】養生訓での健康については、「医は仁術なり」とし、「養生の術は、先(ず)わが身をそこなふ物を去べし。身をそこなふ物は、内慾と外邪となり」と内因論と外因論より展開しており、内因論としては飲食の慾、好色の慾、睡の慾や喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の慾としている。外因論は、風・寒・暑・湿をいっている。「養生の術は先(ず)心気を養ふべし」としており、「薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり」とし、「朝夕歩行し身を労動して、久坐・久臥を禁ぜば・・・是上策とす」と示している。また高齢者につていは、「さびしきをきらふ。子たる者、時々侍べり、古今の事、しずかに物がたりして、親の心をなぐさむべし」としている。
【考察】全体は8巻476段におよび、解釈についてはそれぞれの立場でおこなわれる。基本的には内経論と傷寒論であるが、実践的な例示が多く、現代的には理学療法の考え方の規範となる部分が上述の例示の様に多いことが分かり、当時の中国からの医学のみではない、市中での健康の考え方が現代に近いものであることが理解される。
【まとめ】養生としての書ではあるが、健康の解釈、その治療についてはリハビリテーション医学的、理学療法的といえるものと考えられた。