抄録
【目的】身体活動の低下や不動化が続くと廃用性筋萎縮が発症するが,再体重負荷や運動などにより筋萎縮は可逆的に回復する.しかし,萎縮を起こした筋が回復する過程や回復に要する期間に関する研究は未だ少ない.本研究では,ラット廃用性萎縮ヒラメ筋を用い,細胞がストレスを受けたときに誘導され変性タンパク質の抑制や修復を行うとされる熱ショックタンパク質70(Hsp70),及び骨格筋の活動量に強く影響を受けるミオシン重鎖アイソフォーム(MHC isf)に焦点をあて,萎縮からの回復過程におけるこれら2種類のタンパク質発現量変化をmRNAレベルとタンパク質レベルで経時的に検討した.
【方法】11週令Wistar系雄ラットを用い,3週間の後肢懸垂(HS)後,再び体重を負荷した.短期回復過程として再体重負荷後12時間(R12h),24時間(R24h),48時間(R48h)を,長期回復過程として再体重負荷後3日(R3d),7日(R7d),14日(R14d),28日(R28d),56日(R56d)を経時的に検討した.回復過程の指標として,ラット体重,ヒラメ筋湿重量と総タンパク量,HE染色によるヒラメ筋組織像,RT-PCR法によるHsp70とMHC isfのmRNA発現量,Western Blotting法によるHsp70タンパク質発現量,SDS-PAGE法によるMHC isf タンパク質発現量を検討した.データ解析はDunnet法による多重比較を用い,有意水準を5%未満とした.
【説明と同意】本研究は「札幌医科大学動物実験指針」に従い,札幌医科大学医学部動物実験施設管理運営委員会にて承認を受けたものである.
【結果】体重及びヒラメ筋湿重量は,3週間の後肢懸垂(HS群)で著しく減少(p<0.01)したが,再体重負荷後は両者共に徐々に懸垂前レベル(C群)に戻った.HE染色では,HS群において筋線維の多核化や細胞萎縮が観察され,再負荷後は筋細胞の変性がさらに進み3日後(R3d群)には筋細胞壊死が見られたが,再負荷後7日(R7d群)には回復傾向が認められた.HS群におけるHsp70のmRNA発現量は,C群と比較して変化を示さなかったが,再負荷後は増加し,7日目(R7d群)にはC群の13倍(p<0.01)にまで達した.Hsp70のタンパク質発現量においては,HS群はC群より減少し,再負荷後は増加してC群レベルに戻ったが,これら変化には統計的な有意差はなかった.MHC isfのmRNA発現量は,HS群でMHC-Iβ, Ia, IId/x, IIbと全てが増加を示し,再負荷後は更に増加した.この増加パターンはタイプにより異なった.MHC isfのタンパク質発現量は,HS群で全てが増加したが,再負荷後は全て減少した(p<0.05).この増減変化の程度は,遅筋タイプ(Iβ)よりも速筋タイプ(IIa, IId/x, IIb)が大きかった.Iβの占める割合を示す相対分布比では,C群は69%であったが,HS群では28%に減少し,再負荷後は徐々にIβの割合が増加し,7日目(R7d群)にはC群レベルに戻った(p<0.01).
【考察】後肢懸垂により体重,ヒラメ筋湿重量,総タンパク量は減少したが,再体重負荷後は増加し3~7日で懸垂前レベルに戻った.しかし,HE染色組織像では再負荷直後は筋細胞の変性が進み,再負荷後3日では細胞壊死もみられた.これは萎縮を起こし脆弱化したヒラメ筋に体重負荷が再開された結果筋細胞に損傷や壊死が発生したと推察する.しかし,再負荷後7日以降は回復が確認された.再負荷直後から始まった筋細胞の損傷や壊死を回復へと導くため,筋タンパク質の修復や補修を担うHsp70の遺伝子レベルでの指令が増し,再負荷7日目でmRNA発現量が著しい増加を示したと考える.MHC isfの分析では,ヒラメ筋は萎縮で速筋化,回復で遅筋化が認められたが,これらは遅筋タイプ(Iβ)よりむしろ速筋タイプ(IIa,IId/x,IIb)の発現が著しく増減して起こるのではないかと推察する.
【理学療法学研究としての意義】本研究は,動物モデルを用いて,廃用性筋萎縮からの回復におけるHsp70とMHC isfのmRNA及びタンパク質の経時的発現量変化を検討したものであり,このように筋の回復過程を分子レベルで検討した研究は未だ少ない.本研究は,理学療法士が臨床において廃用性筋萎縮の治療を行う際に,有効な治療法の開発や時期を検討するための一助になると考える.