抄録
【目的】今回、右内頚動脈の狭窄により前/中/後大脳動脈領域の分水界梗塞によって左片麻痺と左半側空間失認を生じた症例を経験したので報告する。内頚動脈、中大脳動脈水平(主幹)部の血栓性高度狭窄や閉塞に起因する分水界梗塞(Watershed infarction)は、各動脈分枝終末および境界部における梗塞である。その発生機序は動脈の狭窄、閉塞による血行力学的機序や全身の血圧低下によるものである。その症状は片麻痺、失語、いろいろな形の失認、部分的感覚障害などの巣症状を呈する場合が多いとされている。
【症例】77歳女性。診断名は脳梗塞、右頚部内頚動脈狭窄症。既往歴として高血圧、糖尿病あり。現病歴はH20年9月21日から進行性に左上肢の筋力低下があり、翌22日に当院救急部を受診。画像所見として、MRIにて右大脳半球の分水界領域(ACA-MCA、PCA-MCA)の梗塞を認め、右内頚動脈分岐部の動脈硬化所見・狭窄所見(75%)を認めた。理学療法初期評価(発症4日後から開始)にてBr-stage:上肢2、手指1、下肢6。下肢MMT:5/4。感覚障害:左上肢のみ触覚、痛覚軽度鈍麻(NRSにて8/10)。高次脳機能障害:左半側空間失認、相貌失認あり。本症例は、MRI画像から、MCA-PCA watershed areaの梗塞を認め、主病巣は37野の紡錘状回、39野の角回と考えられた。この部位は腹側視覚路であり、視覚情報の意味を判断する。また、頭頂葉付近のACA-MCA watershed areaにも微細な梗塞巣があることから上肢の不全麻痺、感覚障害の出現も推測した。結果、半側空間失認は、意味づけの低下に感覚障害と不全麻痺、注意障害が重なり生じたものと考えた。その症状に対し、麻痺側上肢を使用し正中から徐々に左に目標物を移しての輪入れ練習を行うという目的動作を行うことで左上肢麻痺の改善と注意の促しを図った。さらに、非麻痺側使用による杖歩行は行わず、両上肢でウォーカーのグリップを握らせ麻痺側も歩行動作に使用させた。また、左空間への眼球運動と頚部の回旋による代償動作を促した。治療場面では左側からの介助や口頭指示を他職種と徹底し、生活場面では、使用する道具の置き場や機材(テレビなど)も左側に配置し、視覚による代償により左空間の視野の拡大を試みた。また、分水界梗塞(Watershed infarction)は動脈の狭窄、閉塞による血行力学的機序や全身の血圧低下が主因であるため、廃用症候群は脳血流量の低下を招く原因となるため早期離床を促し、廃用症候群の予防を計画した。以上、3点の要素を含んだ理学療法を行い入院中の11日間線分二等分試験とBr-stageにて評価し経過を追った。
【説明と同意】患者・家族への同意と院内倫理委員会に了承の元、本報告を作成した。
【経過】発症4日後:麻痺側回りの移乗が行えず、口頭指示による促しを行っても修正できない。5日後:上肢、手指の分離運動はBr-stage3に改善。線分二等分試験にて中央より右側に2.5cmのところに線が引かれる。食事も左側のものに手を付けない。開眼、閉眼ともに第2~4指の判別が難しい。物品の呼称は可。7日後:ウォーカー歩行開始。8日後:線分二等分試験にて中央より1.5cm右側に線が引かれる。Br stage上肢4、手指3に改善。左手指の呼称はほぼ間違えず答えられる(8割程度)。9日後:歩行は安定してきたが「左へ曲がってください。」と口頭指示をしても右に曲がってしまう。手指呼称8割正答。10日後:手指呼称は全問正解。方向転換時右に曲がってしまうことは変化なし。11日後:上肢Br stage5に改善。手指は屈曲のみ分離可。線分二等分試験は中央より1.0cm右側に線が引かれる。線分二等分試験において一週間で2.5cmのずれが1.0cmに改善し、上肢Br-stageも3から5への改善が見られた。
【考察】本症例は発症が緩徐であり他の血管から側副血行路による代償機能が作られつつあることが予測され、早期離床によって廃用症候群による血圧低下を予防し、脳血流量を確保したことが症状の悪化の防止や改善に重要な意味を持つと考える。また、今回の症例に対して麻痺側を早期から使用し、分離運動の促しと左半側空間に対して意識的に注意を向けさせることや頚部筋群や眼球運動を利用しながら、左空間を拡大させ、左半側空間における意味づけ動作を行ったことが左上肢の麻痺、半側空間失認の改善に結びついたと考えられる。
【理学療法学研究としての意義】急性期の脳血管障害に対する理学療法では画像所見と脳の機能局在から抽出した症状に要素を搾った理学療法を展開することが機能改善獲得にあたり重要であると考えられる。