抄録
【目的】
人工股関節全置換術(以下,THA)では、術後合併症に脱臼が挙げられる。脱臼に対しては、患者が長期にわたり不安を感じたり、予防のために日常生活動作において肢位を考慮するため不都合が生じる。また、動作自体に介助や自助具を要すなど、煩わしさも感じている。したがって、術前後における患者の脱臼に対する不安(以下,脱臼不安感)を理解したうえで、その軽減に努めることは脱臼予防に関わる理学療法士にとって重要である。そこで今回、脱臼不安感を数値化して捉えるとともに、術前と退院時での脱臼不安感の変化と、患者の視点から個人の健康感をとらえた包括的健康尺度である健康関連QOL、さらに身体的運動機能の尺度としての連続歩行距離との関連を理解するため調査し、検討した。
【方法】
対象は2009年7月から9月に当院にてTHAを施行した10名10股関節である。平均年齢は69.3±10.8歳、性別は男性2名、女性8名であった。調査は、脱臼不安感をVisual Analogue Scale にて、健康関連QOLをMOS 36-Items Short-Form Health Survey(以下,SF-36)にて、身体的運動機能を連続歩行距離にて評価した。それぞれ術前(術前平均1.1±0.3日)、退院時(術後平均30.1±3.0日)に実施し、術前と退院時の脱臼不安感と連続歩行距離を対応のあるt検定にて危険率を5%未満として比較した。また、脱臼不安感の変化とSF-36の8項目、連続歩行距離とのPearsonの相関係数を求めた。
【説明と同意】
ヘルシンキ宣言に基づき、事前に本研究の目的と内容を十分に説明し、同意の得られた患者を対象とした。
【結果】
脱臼不安感は術前6.2±3.4、退院時5.8±2.6であり有意差はなかった。連続歩行距離は、術前347.0±206.5m、退院時490.0±196.9mであり、退院時の方が有意に距離が長い結果となった。術前後の不安感の変化と各評価項目との相関係数は、SF-36では日常役割機能(身体)r=-0.62、体の痛みr=-0.59、日常役割機能(精神)r=-0.55、活力r=-0.53、心の健康r=-0.35、全体的健康感r=-0.30、社会生活機能r=-0.23、身体機能r=0.01、連続歩行距離ではr=-0.44であった。以上より、脱臼不安感と日常役割機能(身体)、体の痛み、日常役割機能(精神)、活力、連続歩行距離でかなりの負の相関関係があり、心の健康や全体健康感でやや負の相関関係がある結果となった。
【考察】
SF-36における多くの項目で脱臼不安感と負の相関関係が認められたことは、脱臼不安感の解消はQOLの改善に結びつくことを示しており、また逆の関係も成立するため、理学療法を進めるうえでは、患者の意志を十分に聴取し、精神的側面への配慮が必要である。特に今回の結果から、入院生活中の活動の際に身体的、精神的な理由で問題があったり、疼痛により活動が妨げられたり、さらに活力や心の健康が低い症例において、脱臼不安感の改善が得られにくいことが分かった。脱臼不安感は心理的要素であり、基本的日常的な活動(役割)の容易さ、疼痛による苦しみや活動制限の有無、活力や心の健康の程度といった精神的要素が相互に関連していると考えられる。したがって、脱臼不安感の軽減には、脱臼予防に対する指導だけでなく、基本的動作の獲得による日常的役割の達成や疼痛の軽減、歩行能力向上といった身体運動機能面の改善の重要性が考えられた。この身体運動機能面の改善が満足感や達成感、自信につながり、精神的要素にも反映され、活力や心の健康とも関連することで、脱臼不安感の軽減に良い影響を及ぼしたと考えると、理学療法士の与える影響は大きい。しかし、SF-36での身体機能とは相関関係が低い結果となった。これは、SF-36での身体機能では激しいスポーツ活動や1km以上の歩行が可能であるかといった、高いレベルの項目が含まれていることが理由として挙げられる。退院時にはこのような項目よりも、日常生活に必要な動作や歩行距離の獲得が目標であり、その達成が自信や満足感につながり、心理的側面によい影響を与えたと考えられる。
以上より、理学療法士は脱臼不安感の軽減のために、身体運動機能面の改善による基本的な日常的役割の達成や歩行距離の延長を導くとともに、活力や心の健康に対しての配慮が重要である。
【理学療法学研究としての意義】
THA施行後の患者では、脱臼への不安感を有しているケースが多い。脱臼予防の観点から肢位や動作を指導する理学療法士は、術後患者と接する機会も多く、その不安感の軽減を図るうえで中心的な役割を果たすべきであり、脱臼不安感の程度を把握することは重要である。また、理学療法にとって患者のQOL向上は大きな目的のひとつであり、本研究のように脱臼不安感を知り、QOLとの関連を理解することは、より効果的に脱臼不安感の軽減とQOL の向上を目指すことにつながると考える。