抄録
【目的】近年、転倒予防の観点より臨床現場において様々なバランス評価が行なわれている。Functional Reach Test(FRT)は動的バランス検査として利用されており、高齢者や中枢性疾患では歩行能力や片脚立位時間と相関が見られるなど多数の報告が見られる。人工股関節全置換術(THA)は変形性関節症、リウマチ様関節炎、虚血性壊死など重篤な股関節疾患の患者に対して疼痛除去と機能改善を目的として施行される。術後のバランス機能を評価するために片脚立位時間の測定は臨床上よく実施され、歩行能力との関連性についても報告されている。しかし、これまでFRTに関する報告は見当たらない。
本研究の目的はTHA患者のFRTと歩行能力および片脚立位時間との関連性について検討することである。
【方法】対象は聴覚障害ならびに平衡機能障害の既往が無く、THAを施行し全荷重を許可された患者12名(全例女性、平均年齢54.3±2.4歳、身長153.6±5.2cm、体重57.6±8.2kg)とした。
測定は、THA施行後7~9日で実施し、バランス評価の指標として前方へのリーチ距離と片脚立位時間、歩行能力の指標として歩行速度、歩行率、重複歩距離について算出した。(1)FRT:壁側上肢を90°屈曲した肢位を開始肢位とし、安楽に前方・水平に上肢を出来るだけ遠くまで伸ばし、開始肢位から最大前方移動における第3中手骨遠位端の間の距離を計測した。3回計測してその平均値をリーチ距離とした。測定は術側・非術側ともに実施した。(2)片脚立位時間:開眼立位で、合図とともに片足を支持脚に触れないよう挙上させた。下肢挙上時間は、足底が離床し再び接地するまでの時間とした。3回計測してその最大値を算出した。測定は術側・非術側ともに実施した。(3)10m歩行試験:10mの歩行路を出来るだけ速く歩行してもらい所要時間ならびに歩数を測定した。3回計測してその平均値を算出し、その値から歩行速度、歩行率、重複歩距離を算出した。
統計学的分析として、リーチ距離の術側・非術側の比較にはMann-WhitneyのU-test、各測定項目間の関連性の検討はSpearmanの順位相関係数、両側のリーチ距離および片脚立位時間の4変数から各歩行指標予測のために重回帰分析を行なった。有意水準は5%とした。
【説明と同意】対象者には検査実施前に研究についての十分な説明を行い、研究参加の同意を得た。
【結果】リーチ距離について、非術側と術側のリーチ距離には差を認めなかった。各測定項目間の関連性について、非術側のリーチ距離と歩行率には有意な負の相関、術側のリーチ距離と重複歩距離には有意な正の相関を認めた。ステップワイズ法による重回帰分析において、歩行率の予測には非術側のリーチ距離が、重複歩距離の予測には術側の片脚立位時間が投入され説明効率の高い単回帰式が得られた。
【考察】本研究結果から、FRTはTHA患者の歩行指標と有意な関連性を認めた。リーチ距離は股関節ストラテジーの影響を受けるとの報告もあり、股関節周囲の機能低下が見られるTHA患者に対してFRTを実施することは有用である可能性が示唆された。今後、筋力や関節可動性など他の因子との関連性などについても評価を行い、THA患者におけるFRTの有用性についてさらに詳細な検討が必要である。
【理学療法学研究としての意義】運動器疾患のバランス評価として静的バランス検査である片脚立位時間は臨床上よく使用される。しかし、動的バランス評価についてはあまり実施されていないのが現状である。本研究結果より、THA患者において動的バランス評価であるFRTと歩行能力は有意な関連性を示した。このことから、THA患者におけるバランス評価の一指標としてFRTは有用である可能性を示唆した。今後、他の運動器疾患におけるFRTの有用性など幅広く検討を進めたい。