抄録
【目的】
嚥下障害に対する運動療法としてShaker Exがあり,世界的にエビデンスが認められている運動療法として広く知られている.しかし,負荷が大きい全身運動である点から,全身的な身体能力の低さ・全身状態の管理の困難さなど臨床では原法適応者が少なく,現実には各々のセラピストにより低負荷運動の変法にて実施されている.また,舌骨上筋群を対象としている訓練とされながらも,全身の総合的身体能力向上が波及した結果としての嚥下能力向上とする見解もある.そこで舌骨上筋群を促通対象にした低負荷の運動療法を実施し嚥下能力向上に効果があるか検討をした.
【方法】
対象は嚥下能力に問題のない健常成人24名(男性8名,女性16名.年齢28.3±7.0歳)とした.
対象者は指定運動として背臥位にて頭部屈曲30回を実施した.運動時に頸部の屈曲運動・頭頚部の等尺的な頭部挙上運動にならないよう「あごを引くように」という指示を行い,頭部屈曲を意識させた.運動の実施前と直後に安楽坐位にて水5mlを嚥下した. この時,後頭部は背側の壁面に接面し視線が床と平行になるように頭部を一定に固定した.運動前後の水嚥下前に安楽坐位にて1)血圧,2)脈拍数を測定した.水嚥下時に舌骨上筋群の表面筋電活動を測定した.嚥下時の3)最大筋活動量,4)嚥下活動時の平均筋活動量,5)嚥下活動時間の値を抽出した.表面筋電計はテレマイオG2(酒井医療製)にて測定し,マイオリサーチXP(酒井医療製)にて解析を行った. 統計解析は1)~5)のそれぞれについて対応のあるt検定を行った.有意水準は5%未満とした.
【説明と同意】
被検者には事前に目的と方法について説明を行い,同意を得た.
【結果】
1)血圧は指定運動実施前121.1±14.0/77.9±8.9mmHg,実施後122.2±15.1/75.2±10.1mmHgと収縮期血圧・拡張期血圧ともに有意な変化を認めなかった. 2) 脈拍数は指定運動実施前73.1±11.2bpm,実施後72.2±10.8bpmと有意な変化を認めなかった.3) 舌骨上筋群最大活動は指定運動実施前266.4±143.4μVであり実施後298.1±122.3μVと有意に増加を認めた.4) 舌骨上筋群平均筋活動量は指定運動実施前34.3±13.1μVであり実施後39.1±12.1μVと有意に増加を認めた. 5)嚥下時の筋活動時間は指定運動実施前1.2±0.4秒であり実施後1.0±0.4秒と有意な減少を認めた.
【考察】
今回計測した表面筋電図から得られた結果として嚥下時の舌骨上筋群の最大筋活動の増加,平均筋活動の増加,嚥下に伴う筋活動時間の減少を有意な変化として認めた.これは,指定運動による即時効果として,嚥下の咽頭期において喉頭を前上方へ移動させることで通常閉鎖している食道入口部の開大,つまり輪状咽頭筋の弛緩を二次的に起こす舌骨上筋群の筋活動が促通された結果として,嚥下開始初期から筋活動の急激な増加を認めたためと考えられる.また強い収縮が可能になったことで5ml水を嚥下するために十分な食道入口部の開大が可能になり短時間で反応を終えたと考えられる.継続的に本法を行うことで食道入口部の十分な開大を常時得られるようになるのではないかと考えられる.食道入口部の開大不全を原因とする嚥下能力低下をきたしている症例でも嚥下能力の向上を期待できる可能性があるのではないかと考える. また,全身状態として血圧と脈拍の二項目について測定,分析を行ったが有意な差は認めず,本運動の負荷であれば血圧変動,脈拍変動がリスクとなる症例においても運動適応となりうると考える.
【理学療法学研究としての意義】
従来行われてきた嚥下障害に対する高負荷の運動療法であるShaker Exは適応者が限定されていた.軽負荷の本法において嚥下能力向上の可能性が示唆されたことは,高負荷運動が困難な全身筋力低下をきたしている症例も運動療法の適応となりうると考えられる.本法前後にて血圧・脈拍の有意な差が認められなかったことは,現在まで嚥下能力向上訓練として運動療法を回避してきた血圧,脈拍の厳密な管理を必要とする症例においても運動療法を選択できる可能性が拡がる.活動低下している筋の促通という手段を通し嚥下障害に対する理学療法士の介入の可能性が広がると考える.