抄録
【目的】膝前十字靭帯(ACL)損傷予防を目的とし,ジャンプ着地時の膝関節周囲筋活動に着目した研究が行われている.膝関節屈曲角度が小さい肢位での大腿四頭筋(Quad)の強い収縮は,脛骨を前方に変位させACLの張力を高める(Markolfら,1990).一方,ハムストリング(Ham)の収縮によりACLの張力は減弱するため(Renstromら,1986),着地時にQuadの活動が過剰でHamの活動が低いことはACL損傷の危険因子とされている.そのため,着地時にQuadの活動を抑えHamの活動を高めることがACL損傷予防につながると考えられる.
筋活動の調節には,筋へアプローチする他,肢体の位置を調節して重心を移動させ,膝関節への力学的負荷を変える方法も考えられる.久保ら(2006)は,動作中,視覚的に上半身,下半身重心点を観察し重心位置を推定する方法を提唱している.その観点から着地時のACL損傷場面を観察すると,体幹の前傾が少なく,上半身重心が下半身重心よりも後方にあると思われる状況が多い.上半身,下半身重心の位置関係によって膝関節周囲筋の活動も異なると予想されるが,これを明らかにした研究はない.本研究では,着地動作時に上半身重心を前方に移動させて,Quadの筋活動が抑えられ,Hamの筋活動を高められるかを検討した.
【方法】対象は下肢に整形外科疾患を有さない健康な成人女性14名,年齢(平均±SD)は21.1±1.1歳であった.
課題は前方への両脚着地動作とし,40cmの台上から行った.着地方法を指示しない条件(以下,指示なし)と,体幹を前傾するよう指示した条件(以下,指示あり)の2条件で課題を行った.
その際,上半身,下半身の重心位置を確認するため,阿江ら(1992)の方法を参考に対象に10個のマーカーを貼付し,1台のデジタルビデオカメラを用いて側方より動作を撮影した.撮影した画像をパソコンに取り込み,動作解析ソフト(Frame-DIAS II;DKH社製)を用いて各マーカーの二次元座標値を算出し,頭部・上部体幹・下部体幹・大腿部・下腿部・足部それぞれの重心座標を求めた.久保ら(2006)の報告を参考に,頭部,上部体幹,下部体幹の重心を合成したものを上半身重心,大腿部,下腿部,足部の重心を合成したものを下半身重心とし,足尖接地から0.1秒後の上半身,下半身重心の座標を求めた.下半身重心の位置を基準とし,指示ありでの着地時に上半身重心が前方に移動したことを確認するため,画像上の上半身,下半身重心のx座標の差を求め,身長で正規化した.
筋活動の記録には表面筋電図(Personal EMG;追坂電子機器製)を用い,被験筋は内側広筋(VM),外側広筋(VL),大腿直筋(RF),半膜様筋(SM),大腿二頭筋(BF)とした.先行研究を参考に,VM,VL,RFの活動量の平均をQuadの活動量とし,SM,BFの活動量の平均をHamの活動量とした.得られた生波形をroot mean square(RMS)変換し,活動量を対象間で比較するため,各筋の最大随意収縮時の活動量に対する割合(%MVC)として表した.収録用のデバイスプログラムを用いて筋電図とビデオカメラを同期させ,動画上の足尖接地から0.1秒間の筋電図を分析した.
統計学的分析には,指示なし、ありの2条件間でQuad,Hamの%MVCを対応のあるt検定を用い比較した.危険率5%未満を有意とした.
【説明と同意】対象には研究について十分な説明を行い,紙面にて同意を得た.なお,本研究は広島大学大学院保健学研究科心身機能生活制御科学講座倫理委員会の承認を得て行った(承認番号0943).
【結果】指示なしでの筋活動は,Quadが96.5±29.7%MVC,Hamが28.0±10.3%MVCであった.一方,指示ありでの筋活動は,Quadが83.8±22.4%MVC,Hamが33.3±11.1%MVCであった.2条件間でQuadの筋活動に有意差はなかったが,Hamの筋活動は指示ありで有意に増加した(p<0.05).
すべての対象は,指示により下半身重心に対する上半身重心の位置を指示なし時よりも前方に移動させることができ,その移動量は身長の2.6±1.5%であった.
【考察】指示ありでHamの活動量が有意に増加した理由として,上半身重心が前方に移動することで股関節伸展モーメントが増大し,股関節伸展筋としてのHamの活動が高まったことが考えられる.体幹を前傾させて着地することでHamの活動が高まり,ACLへの張力を減少させることができれば,それはACL損傷予防戦略として合理的といえるだろう.ただし,スポーツ活動中の着地動作にはパフォーマンスを維持するための適切な体幹前傾角度が存在すると考えられる.本研究の指示で観察された着地動作は通常のスポーツ動作中でも観察されるものであったが,今後は運動学的分析も行う必要がある.
【理学療法学研究としての意義】本研究の結果を,運動学的分析を加えることでより有用なものとし,容易にACL損傷のリスクを低下させる着地方法として,スポーツ現場での指導に応用できると考えられる.