抄録
【目的】腸脛靭帯(iliotibial band : ITB)は大腿筋膜張筋、大殿筋の付着部、腸骨稜から起始し、脛骨外側のガーディー結節に付着する。膝関節を屈曲していくとITBが矢状面上で大腿骨外側上顆の前方から後方へ移動し、この際に起こる摩擦が積み重なることによって腸脛靭帯炎(iliotibial band friction syndrome : ITBFS)が発症すると考えられている。先行研究においてITBが大腿骨外側上顆を乗り越える際の膝関節屈曲角度は約30°であると報告されている(Noble 1979)。そのため、ITBFSの対象では膝関節屈曲30°位で大腿骨外側上顆上のITBに疼痛が発生している。しかしながら、このときの股関節の矢状面上の角度についての記載はされていない。
ランニングやサイクリング運動でITBFSの発症が多いとされている。Orchardら(1996)はジョギング中に膝関節は最大で約55°屈曲し、股関節は最大で約40°屈曲すると報告している。Kevinら(2002)はサイクリング運動中に膝関節可動域が屈曲35°から110°まで動くことを報告している。これらの運動に伴い股関節も連動している。ITBが大腿骨外側上顆を乗り越える際に膝関節の角度に与える股関節角度に関する報告は渉猟した限りでは認められない。本研究ではITBが大腿骨外側上顆上を通過する際の膝関節屈曲角度を股関節の屈曲・伸展角度を変化させて測定することで、股関節の屈曲・伸展の動きに伴ってITBの矢状面上の移動が起こることを明らかにすることを目的とする。【方法】対象は本研究に同意が得られた、現在下肢に整形外科疾患を有さない健康な男性12名とした。年齢(平均値±標準偏差)は20.1±1.3歳、身長は171.3±3.1cm、体重は59.3±5.3kgであった。測定肢位は側臥位で股関節内外旋0°、外転0°位とし、測定脚は利き足(ボールを蹴る側の脚と定義)とした。股関節の角度を伸展10°、屈曲0°、屈曲20°、屈曲40°、屈曲60°の5条件に規定した。測定は対象の股関節および膝関節を固定する者と、膝関節屈曲角度の測定を行う者の2名で行った。側臥位で股関節を規定の角度まで他動的に動かし大腿骨外側上顆上を測定者が触知したまま膝関節を屈曲させていき、ITBが大腿骨外側上顆を乗り越えた際の膝関節屈曲角度をゴニオメーター(東大式)を用いて測定した。得られたデータは平均値±標準偏差で表し、5条件の比較には対応のあるt検定を用い、多重性を考慮して有意水準5%を条件間で比較する数の分だけ割ることで調整を行った(P<0.005=0.05/10)。また、測定の信頼性を確かめるため同一検者が1つの条件につき3度ずつ測定を行い、級内相関係数ICC(1,1)を算出した。【説明と同意】対象に対して十分な説明を行った後に研究同意書に署名をうけ測定を実施した。本研究は広島大学大学院保健学研究科心身機能生活制御科学講座倫理委員会の承認を得て行った(承認番号0914)。【結果】股関節伸展10°での膝関節屈曲角度は23.7±3.3°、屈曲0°で29.1±3.5°、屈曲20°で35.2±2.1°、屈曲40°で43.5±3.4°、屈曲60°で51.4±4.7°となり、5条件では全ての条件間で股関節の屈曲角度が大きくなるほどITBが大腿骨外側上顆を乗り越える際の膝関節屈曲角度が有意に大きくなることが認められた(p<0.005=0.05/10)。
測定の検者内信頼性は股関節伸展10°、屈曲0°、屈曲20°、屈曲40°、屈曲60°でそれぞれICC(1,1)=0.96、0.98、0.96、0.93、0.98であった。【考察】ITBは大腿筋膜張筋、腸骨稜を起始とし、股関節と膝関節の2関節にまたがる筋膜様組織である。股関節屈曲角度が増加すると、脛骨に付着しているITBがわずかだが前方へ移動すると考える。そのため、大腿骨外側上顆とITBの間の距離が増加し、大腿骨外側上顆をITBが乗り越えるにはより深く膝関節を屈曲する必要がある。本研究において、股関節屈曲角度が大きいとITBが大腿骨外側上顆上を通過する際の膝関節屈曲角度が大きくなったが、これは妥当な結果であろうと考えた。股関節屈曲角度の増加に伴い、ITBが前方に移動し、股関節屈曲60°では膝関節屈曲角度は51.4°にもなることを見出せた意味は大きい。ICC(1,1)は0.90以上であり、判定基準に基づくと「優秀」であったことから、今回の測定の信頼性は高いと判断した。本研究の限界としてはITBが大腿骨外側上顆を乗り越えることを触診のみによって判断したこと、普段のランニングやサイクリング動作と異なり側臥位でかつ矢状面上で測定したことがあげられる。【理学療法学研究としての意義】ランニングと違いサイクリング運動などでは股関節屈曲位のまま膝関節屈曲・伸展運動を行うため、ITBの大腿骨外側上顆に対する矢状面上の位置を知ることは、スポーツ種目や運動の違いによるITBFSの発生機序の理解を深めることにつながる。また、本研究の結果からITBの矢状面上の動きとして股関節屈曲・伸展角度を考慮した新たなITBFSの治療プログラムの作成につなげたいと考える。