抄録
【目的】
高齢者の転倒を予測し、未然に防ぐことは重要な課題である。高齢者の転倒は70%が運動中に生じているといわれており(Cali 1995)、歩行能力の分析が必要とされている。筆者らは比較的安価で屋外などでも測定可能な加速度計が転倒予防などを目的とした歩行能力の分析に有効であると考えている。歩行時の加速度の測定は、センサーを腰椎部に置くことが多い。歩行時の若年者と高齢者の上部体幹、骨盤の動きに着目すると、若年者は骨盤帯の動きが先行し、高齢者では上部体幹の動きが先行するという報告がある(McGibbon 2001)。筆者らは、若年者では脊柱の可動性が保たれているために脊柱でも胸椎と腰椎では加速度に違いがあるのではないかと考えた。先行研究では腰椎部に加速度計を取り付けて高齢者の歩行を測定しているが、胸椎部にも加速度計を取り付けた研究は見当たらない。本研究では胸椎と腰椎に加速度センサーを設置し、実際に差があるかを分析することを目的とした。
【方法】
対象は、現在下肢に整形外科疾患がない若年健康成人7名(男性5名、女性2名)とした。対象の年齢、身長、体重の平均±標準偏差は23.1±1.9歳、1.74±0.11m、65.3±17.2kgであった。課題はトレッドミル(AUTO RUNNER AR-200, Minato, 日本) 上での歩行とした。速度は先行研究を参考に通常歩行速度を5.1km/h、健康高齢者の歩行速度を3.2km/h、若年者と健康高齢者の中間の値として4.0km/h、の3条件を測定に使用した。各速度で1分間の練習を行った後、15秒間の歩行を測定した。体幹加速度の測定はワイヤレス3軸加速度計(AMsystem、ALNIC社製)にて行い、加速度センサーを第3腰椎レベル、第9胸椎レベルにテーピングを用いて固定した。解析対象は踵接地から立脚中期にかけて生じる垂直方向の加速度、側方への加速度とした。測定開始後7、9、11歩目の各成分ピーク値を平均した。統計学的検定には対応のあるt検定を使用し、各速度での胸椎および腰椎の加速度の値をそれぞれ比較した。危険率5%未満を有意とした。
【説明と同意】
対象には、目的や方法などを十分説明した後、署名にて同意を得た。なお、本研究は広島大学大学院保健学研究科心身機能生活制御科学講座倫理委員会の承認を得て行われた(承認番号1015)。
【結果】
歩行速度5.1km/h時の胸椎部の垂直加速度は2.69±0.75m/s2であり、側方加速度は2.71±1.78m/s2であった。同じく腰椎部ではそれぞれ3.08±0.69m/s2、3.34±1.70m/s2であった。歩行速度4.0km/h時の胸椎部の垂直加速度は1.60±0.51m/s2であり、側方加速度は2.01±1.33m/s2であった。同じく腰椎部ではそれぞれ1.89±0.59m/s2、2.31±1.70m/s2であった。歩行速度3.2km/h時の胸椎部の垂直加速度は1.05±0.36m/s2であり、側方加速度は1.71±1.02m/s2であった。同じく腰椎部ではそれぞれ1.34±0.33m/s2、1.65±1.19m/s2であった。垂直加速度は歩行速度5.1km/h時の胸椎部と腰椎部の間に有意な差を認めた(p<0.05)。垂直加速度は他の2つの歩行速度では有意な差を認めなかった。側方加速度は歩行速度5.1km/h時の胸椎部と腰椎部の間に有意な差を認めた(p<0.05)。同様に他の2つの歩行速度では有意な差を認めなかった。
【考察】
本研究は歩行時の胸椎部および腰椎部の加速度を測定し比較することで、胸椎部の加速度測定の必要性があるのかを検討した。結果として若年者の通常歩行速度に近い5.1km/hにおいて踵接地時から立脚中期にかけて生じる垂直方向、側方方向への加速度は胸椎部の方が腰椎部よりも有意に低い値を示した。同じく歩行速度が遅くなると胸椎部と腰椎部の加速度が同程度になることが分かった。この理由として、速い歩行速度ではケイデンスが増加し歩幅が広くなることなどから、下部体幹がすばやく大きく動くことで腰部の側方への加速度が増大した可能性がある。転倒リスクが高い高齢者では速い歩行速度に達することができず、胸椎部と腰椎部の加速度の差が生じない可能性がある。これを利用すると高齢者の歩行の能力を予測できるのではないかと考える。
【理学療法学研究としての意義】
若年者の歩行速度に応じた腰部および胸部の加速度を測定し、高齢者と比較してゆく意義は大きい。