抄録
【目的】神経損傷に起因しない慢性痛症はギプス固定や骨折、捻挫、打撲、皮膚損傷、手術などの種々の軽微な外傷に起因することが知られているが、その発症機序については、未だ不明な点が多く、病態解明が世界的に進んでいないのが現状である。その背景として、神経損傷以外の種々の発症機転を模擬した慢性痛症モデル動物の開発が遅れていることが挙げられる。そこで我々はギプス固定による新たな慢性痛症モデル動物の開発を試み、2週間の片側後肢ギプス固定後、固定部の炎症所見(発赤、浮腫、熱感)に続き、固定部外に拡がる皮膚・筋の機械的痛覚過敏行動が長期に継続するといった複合性局所疼痛症候群I型に類似する現象が起こることを報告した(大道裕ら2005)。さらに、ギプス除去後から固定側後肢に血漿管外漏出が誘発されることが明らかとなった(大道裕ら2009)。そこで今回は、この管外漏出がギプス除去時の末梢神経遮断により改善できるかどうかを検証した。
【方法】モデル動物は、ラット(SD系、雄性、9-11週齡、N = 47)を用い、深麻酔下(pentobarbital 50mg/kg、腹腔内投与)にて、石膏ギプスを用い左側後肢を立位にて固定し,2週間後に除去することで作成した。ギプス固定部直下の腓腹筋部、下腿内側皮膚面に対し、機械的痛覚過敏テストをギプス固定前、ギプス除去直前、直後、2時間後、1週間後に行った。下腿内側部の皮膚刺激に対する後肢引っ込め反応頻度は、20g(198.1 mN)のvon Frey filamentを用いて測定した。腓腹筋部の圧痛閾値はpush-pull gaugeを用いて測定した。また、別のラット群を用いて、ギプス固定前、ギプス除去直前、直後、2時間後、1日後、1週間後の下肢の血漿管外漏出を測定するために、アルブミンと親和性の高いEvans Blue Dye (EBD)を頸静脈より投与し、その2時間後に心臓より4% phosphate buffered salineで潅流し、管外に漏出したEBDを60°Cのフォルムアミドで抽出後、抽出液中の単位重量当たりのEBD量を分光光度計にて算出した。さらに、ギプス除去2時間後の血漿管外漏出における神経ブロック(1% lidocaine)の影響を検証するために、同様にEBDを静注したラットの固定側坐骨神経近傍に1% lidocaineをギプス除去30分前に経皮的に注入し、ギプス除去2時間後のEBD管外漏出量を測定した。
【説明と同意】本実験は、国際疼痛学会の倫理委員会が定めたガイドラインに準拠し(Zimmermann 1983)、愛知医科大学動物実験委員会の承認のもとに行った。
【結果】ギプス固定慢性痛症モデルにおける固定部局所の機械的痛覚過敏行動は、腓腹筋部、下腿皮膚部ともにギプス除去直前にはみられなかった。しかしながら、除去2時間後から出現し、除去1週後まで持続した。固定側後肢のEBDの漏出量は、ギプス固定前と比較してギプス除去2時間後に約5倍へ増大し、その後、徐々に減弱し、除去1週後でギプス固定前のレベルとなった。ギプス除去2時間後のEBDの漏出量の増大は、ギプス除去前の坐骨神経ブロックにより約60%減弱した。
【考察】本実験結果より、ギプス固定部直下の皮膚および筋の機械的痛覚過敏行動や血漿管外漏出は、ギプス固定中でなく除去後に誘発されることが示された。ギプス除去によって誘導される固定部の炎症がメカニズムに関与していることが示唆される.また、この管外漏出は、局所の神経ブロックにより有意に減弱したことから、管外漏出の誘因としてギプス固定部組織からの感覚入力が関与していることが示唆される。
【理学療法学研究としての意義】本研究は,理学療法によって経験的に有効性が認められている運動器慢性痛症(明らかな神経損傷のないもの)のモデル動物を確立したと考えられる.このモデルを用いて,運動器慢性痛症のメカニズムを明らかにする取り組みは、本病態に対する理学療法の有効性に科学的根拠を付与することに繋がり、またメカニズムに基づく新たな理学療法戦略の構築に繋がる意義深い取り組みである。