抄録
【目的】歩行の中枢神経制御は、動物実験や神経症候学的側面から研究が広くなされてきたが、ヒトを対象として歩行時の脳活動を計測する技術は比較的近年開発されたものであり、知見の集積が乏しい現状にある。本研究では、高齢者がトレッドミル歩行を行ったときの脳の糖代謝を測定し、トレッドミル歩行時の脳活動部位を特定することを目的とした。
【方法】対象者は地域に在住する健康な75歳以上の女性高齢者12名(平均年齢77±2歳)であった。対象者は中枢性疾患、顕著な整形学的疾患、内科疾患を有さない者を選択した。なお、脳についてはmagnetic resonance imagingにより、無症候性脳梗塞と高度な脳萎縮がないことを確認した。
歩行時の脳の活動を調べるため[18</sup>F]fluorodeoxy glucose(FDG)を用いたpositron emission tomography(PET)を実施した。FDG PET検査に際して対象者は検査6時間前から絶食した。検査は2日間以上、2週間以内の間隔で歩行と安静の2条件で実施した。歩行検査は、FDG約130MBqを静脈内注射した後、トレッドミル(PW-21; 日立製作所、東京)上で25分間、時速2.0kmの設定で歩行した。歩行時には赤外線により歩幅と歩行率の計測を歩行開始10分後から実施した(m-Stride ST-1100; S & ME社、東京)。歩行終了後はベッド上安静を保持し、40分後からPET撮影をSET 2400W (島津製作所製、京都)を用いて、3Dモードで6分間のスタティスティックスキャンを行った。安静の検査は、FDG約130MBqを静脈内注射した後、ベッド上閉眼にて臥位を35分間保持して40分後からスキャンを開始した。FDGは脳ブドウ糖代謝を反映して脳に集積するため、この撮影で得られた局所放射能はブドウ糖代謝率と正相関の関係にある。吸収補正は68Ga/68Geソースによるトランスミッション撮影に基づいて行った。再構成後の空間分解能はスライス方向で約5.5mm、軸方向で約7mmFWHMであった。
分析は statistical parametric mapping (SPM8 software, Welcome Department of Cognitive Neurology, Institute of Neurology, Queen Square, London, UK)を用いて解剖学的標準化を行い、半値幅(FWHM)16mmのガウスフィルターで平滑化処理を行った。その後、SPMにより、ピクセル単位で歩行時から安静時のFDG集積を除して歩行時の脳活動を検討した。統計学的有意水準は、多重比較による影響を考慮して先行研究に倣ってP<0.001とした。
【説明と同意】対象者には本研究の主旨および目的を口頭と書面にて説明し、書面にて同意を得た。なお、本研究は東京都健康長寿医療センター倫理審査委員会の承認を受けて実施した。
【結果】すべての対象者が25分間のトレッドミル歩行を実施できた。平均歩幅は34.9±5.2cmであり、平均歩行率は101.4±15.1歩/分であった。それぞれの変動係数は、平均2.7%(歩幅)、2.2%(歩行率)であった。
トレッドミル歩行時の糖代謝から安静時代謝を除した結果、小脳前葉と後葉(クラスターサイズ5196、最大Z値6.57)、中心傍小葉前部および中心後回(クラスターサイズ936、最大Z値5.44)、下側頭回(クラスターサイズ39、最大Z値5.17)、後頭葉楔部(クラスターサイズ277、最大Z値4.82)、中後頭回(クラスターサイズ4、最大Z値4.64)の賦活が認められた。
【考察】本研究における歩行速度の設定は、時速2.0kmであり歩幅は短かったが、変動係数は小さく安定して歩行できていた。歩行時の脳の活動をみると、小脳、中心傍小葉、後頭葉周囲の活動が認められた。小脳の活動は下肢、体幹の協調動作遂行やリズム制御に寄与したものと考えられた。運動想起による先行研究において、歩行は、小脳による制御と視覚入力統合による空間定位が重要であるとされ、今回の実際に行った歩行課題においても同様の知見が得られた。中心傍小葉前部は下肢の運動指令の中枢、中心後回は一次体性感覚野であり、歩行運動の直接指令とフィードバックによる賦活と考えられる。下側頭回、後頭葉楔部、中後頭回は視覚に関与するが、トレッドミル歩行による一定した視覚入力においても視覚領域が賦活したことは、歩行時におけるバランスを保持するために視覚入力が果たす役割を示唆したものと考えられた。
【理学療法学研究としての意義】歩行機能の保持や再獲得は、理学療法における中核的な目標となり得る。歩行の中枢神経制御を知ることは、脳病変の理学療法や萎縮した脳を持つ高齢者の健康増進を行う上で、障害構造の分析や評価のために有益であると考えられる。