抄録
【目的】
病院にとって車いす使用者の転倒・転落事故の予防は重要である。当院では車いす操作未習熟者に対して転倒防止装置を装着するなど、予防に努めている。脊髄損傷者の転倒・転落の実態を調査することで、我々が車いす転倒・転落予防に取り組むための一助としたい。
【方法】
対象は神奈川県総合リハビリテーションセンターを利用している脊髄損傷者51名(男性45名、女性6名)であり、脊髄損傷レベルはC4~L2、改良FrankelでA~D、平均年齢43.0±15.5歳であった。対象者はいずれも在宅もしくは施設生活をしており、車いす使用歴は8~400ヶ月であった。
対象者に転倒・転落経験の有無、その時の詳しい状況と感想、怪我の有無、転倒防止装置の有無について聴き取り調査を行った。尚、移乗時とスポーツ中の転倒・転落は除外した。
【説明と同意】
神奈川リハビリテーション病院倫理委員会の承認を受け、紙面と口頭により対象者の同意を得て実施した。
【結果】
対象51名の内7名は転倒・転落経験がなく、44名から113件の転倒・転落経験について聴取することができた。前方転落が53件、後方転倒が56件、側方転倒が4件であった。
前方転落は段差26件、平地19件、坂16件で起こっていた。前方転落の原因は、前進中に前方の障害物にぶつかることが29件(55%)と最も多かった。他にも床の物を拾うなどの前屈姿勢から転落した例が10件(19%)、前進中にハンドリムをつかみ損なうなどの駆動や操作を失敗することで転落した例が8件(15%)あった。
後方転倒は半数以上が平地で起こっており、キャスタ上げの失敗が17件(30%)、バックサポートによりかかるなどの後方荷重が14件(25%)であった。他にも段差・坂昇降の失敗17件(30%)が主な原因となっていた。後方転倒の46件(82%)は転倒防止装置が無かったが、10件(18%)は転倒防止装置があるにも関わらず発生していた。転倒防止装置があるが後方転倒したのは、上り坂を後進してしまいブレーキをかけたところ転倒した例、段差で後輪が脱輪した例、キャスタ上げで転倒防止装置を乗り越えた例などであった。
頭部損傷や骨折などの重大事故につながった例は15件あり、前方転落が5件、後方転倒が10件であった。12件は頸髄損傷者でその内の11件に頭部損傷が含まれていた。
【考察】
車いすを使用している脊髄損傷者のほとんどが転倒・転落を経験していることがわかった。当院では転倒防止装置の装着やキャスタ上げの練習など、後方転倒へ関連した対応は多く行われているが、前方転落予防に対する介入はあまり積極的に行われていない。前方転落と後方転倒はほぼ同数であったことから、前方転落も後方転倒と同じように予防が必要であり、現状では対策が不足していると気づかされた。
転倒防止装置を装着していても後方転倒した事例から、上り坂や段差など、装置が機能しない環境があることがわかった。また、キャスタ上げで転倒防止装置を乗り越えてしまうなど、機能が不十分だった例もあった。使用者に転倒防止装置の限界を知ってもらうと共に、適切に設定するよう注意喚起することも重要である。
車いすの転倒・転落を予防するためには、危険予測能力を高める必要がある。病院は転倒・転落が起こりにくい環境だが、退院後は転倒・転落が起こり易い環境の中で生活することになる。入院中に積極的に屋外の様々な環境で駆動・操作練習を積み、自身の車いす駆動能力の限界を知ることが必要である。また、安全に配慮した中で転倒・転落を体験したり、転倒・転落後の対処法を経験しておくことで、外傷を防ぐ姿勢や車いすの限界を学習することができる。
車いす使用者の転倒・転落は介助者や周囲にいる人が原因となることもある。理学療法場面での車いす使用者とのやり取りだけでなく、ポスター掲示や介助者指導など、啓蒙活動に努めることも重要と考えられる。
【理学療法学研究としての意義】
国内において脊髄損傷者の車いす転倒・転落に関する詳細な報告はない。今回実例を知ることで、車いす転倒・転落予防へ今後どのように取り組めるのかが明確となった。