抄録
【目的】
脊髄損傷者にとって、日常生活を送る上で車いすの使用は必要不可欠である。近年当院では入院中の車いす使用による転倒・転落、怪我が問題となっている。国内では車いす転倒についての報告は少なく、脊髄損傷者に限った報告は見当たらない。そのため医療の手を離れた脊髄損傷者の転倒・転落事故の実態は明らかではない。車いす転倒・転落事故の実態を知るため、聞き取り調査をもとに身体機能と転倒・転落経験の有無、怪我の有無の関係を検討した。
【方法】
神奈川県総合リハビリテーションセンターを利用している脊髄損傷者51名(男性45名,女性6名,平均年齢43.5±15.5歳,頚髄損傷23名,胸腰髄損傷28名,Frankel A 30名,B 11名,C 5名,D 5名)に対し、聞き取り調査を行った。対象は病院を退院した、在宅もしくは施設生活者であった。聞き取り調査は年齢、性別、脊髄損傷レベル、車いす転倒・転落経験の有無と方向、転倒・転落回数、重大な怪我の有無、上肢支持の可・不可、立位の可・不可、外出頻度、段差昇降能力について行った。転倒・転落は移乗時、スポーツ時は含まないこととした。重大な怪我とは頭部への損傷または骨折を伴うもの、上肢支持は座位にて外乱に対し手をつき転倒を防げること、立位はLLB以上の装具を使用せず手放し立位もしくは掴まり立ちとした。身体能力と転倒・転落経験の有無、怪我の有無についてχ2独立性の検定を行った。統計にはSPSS 16.0 Jを用い、有意水準5%とした。
【説明と同意】
神奈川リハビリテーション病院倫理委員会の承認を受け、紙面と口頭により対象者の同意を得て実施した。
【結果】
頚髄損傷者よりも胸腰髄損傷者に転倒・転落経験が多く(p=0.002)、胸腰髄損傷者で転倒・転落未経験者はいなかった。しかし転倒時に怪我をした者は頚髄損傷者に多かった(p=0.001)。週1回以上外出している者は外出頻度が週1回未満の者より転倒・転落経験が多かった(p=0.02)。5.5cm以上の段差を昇れるものは昇れないものより転倒・転落経験が多かった(段差昇降p=0.000)が、転倒・転落時の怪我に差はなかった。上肢支持が不確実な者は、転倒・転落時に怪我をした者が多かった(p=0.03)。上肢支持不確実な者で怪我をした10人中、8人は頭部へ損傷を受けていた。FrankelA,B群(運動完全麻痺)とC,D群(運動不全麻痺)に転倒・転落経験、怪我について差はなかった。立位の可不可と前方転落経験について関係はなかった。
【考察】
胸腰髄損傷者のように身体能力が高く、車いすの操作能力も高い者は、活動的で外出頻度が多い。そのため、転倒・転落するような場所・場面に遭遇する機会が多く、転倒・転落経験者も多かったと考える。一方で、頸髄損傷者など身体能力が低く、外出頻度も少ない者に転倒・転落経験者は少なかったが、転倒・転落時に怪我をする確率が高かった。これは転倒・転落時の防御能力が低いためと考えられる。重大事故につながる頭部への怪我を防ぐために、後方転倒では頚部・体幹を屈曲させ頭部を地面に打たないようにする必要がある。また、前方転落時には手を着き顔面から接地しないようにする。しかし、頸髄損傷者の場合、後方転倒時後頭部から落ち怪我をすることが多く、前方転倒時には顔面から落ち前額部に怪我をする頻度が高い。このことは上肢支持の可・不可と怪我の関係からも言える。これらは、運動完全麻痺に限らず不全麻痺においても同様のことが言えた。また、立位がとれるほどに下肢機能があっても、前方転落経験者数には関係がないことが分かった。
以上のことから、胸腰髄損傷者など活動的な脊髄損傷者ほど転倒・転落を経験するリスクが高いと言える。そのため、入院中に車いす操作能力を高め転倒・転落を防ぐことはもちろん必要だが、それだけでなく転倒・転落時の対処方法や重大な怪我をしにくい転倒・転落方法を身につけることが重要だと考える。また、頸髄損傷者など防御姿勢が難しい者に対しては、上記の自分自身の能力を上げる2点に加え、車軸の位置や転倒防止装置など安全で転倒しにくい車いす環境を整え、転倒・転落を予防することが重要である。 胸腰髄損傷者でも車いす使用に不慣れな時期や転倒時に防御姿勢がとれない者に対しては、駆動性だけでなく頸髄損傷者と同じように転倒予防も踏まえて車いすを設定することが必要である。
【理学療法学研究としての意義】
身体能力の違いで車いす転倒・転落の頻度や影響が異なることが今回の研究で明らかになった。脊髄損傷者がより安全に社会生活を送っていくために、今回の結果は対応と対策を考える目安となる。