抄録
【目的】二重挫滅症候群(double crush syndrome)は、UptonとMaComas(1973)による「手根管症候群、肘部管症候群の患者の70%に頚椎神経根障害を合併していた」との報告に始まる。これは、末梢神経の近位部に絞扼障害がある場合、軸索流が障害され、神経の遠位部は障害されやすくなるという仮説であり、臨床的にも認められ多くの報告が存在する。しかし、これらは上肢末梢神経絞扼障害に報告されているのみで、下肢末梢神経障害での二重挫滅症候群を考慮した報告はほとんどみられない。今回、腰椎椎間板ヘルニアによる神経根症状を呈した症例の治療経過にて、総腓骨神経圧迫症候群と類似した症状を呈した症例の理学療法を実施する機会を得たので、シングルケーススタディとして、若干の考察を含めて報告する。
【方法】シングルケーススタディのデザインとして反復型実験計画ABABデザインを用いた。対象は、急性発症のL4/5椎間板ヘルニアによる左L5神経根症状(神経脱落症状と腰下肢痛、異常感覚)を呈した48歳の女性である。MRIにて巨大な脱出ヘルニアを認め、保存療法に抵抗性を示したことから、LOVE法を施された。術後から異常感覚は軽度残存するものの、腰下肢痛は消失した。4日目から病棟歩行自立となり、その頃から歩行時に下腿近位後外側に疼痛が出現し、下腿前外側~足背~母趾背側の異常感覚が増悪した。ヘルニア再脱出が疑われ、術後5日目に左L5神経根造影検査を施したが、造影剤Stop像、注入時疼痛反応、注入後の改善ともに認めず、ヘルニアの再脱出を示唆する所見はみられなかった。術後6日目より理学療法が開始となった。初期理学検査より、腓骨頭後方での総腓骨神経圧迫による症状と仮説し、独立変数を腓骨腹側誘導(総腓骨神経圧迫の解除)、従属変数を痛みの主観的評価法であるnumeric rating scale(以下、NRS)とした。第一期基礎水準測定期(以下、A一期)を術後6日目から8日目とした。第一期操作導入期(以下、B一期)を術後9日目から11日目とした。従属変数が真に独立変性によって変化したのかを明らかにする為に第二期水準測定期(以下、A二期)を術後12日目から14日目、第二期操作導入期(以下、B二期)を術後15日目から17日目と設定した(第一期AB、第二期AB、各3日計12日間)。なお、Aでは、ホットパック、神経系モビライゼーション、下肢・体幹筋力強化訓練を、Bでは、上述の治療に加え、腓骨頭の腹側モビライゼーション及び、テープ療法による腓骨頭の腹側誘導を実施した。ABともに治療時の原則として疼痛が出現、及び増悪しない事とし、治療後にNRSを実施した。測定結果の分析は、二分平均値法を用いた。
【説明と同意】本調査および発表において、ヘルシンキ宣言に則り対象者に十分に説明し同意を得た。
【結果】B一期でのモビライゼーション及びテープ療法による腓骨頭腹側誘導を実施し、痛みの主観的評価であるNRSが改善した。第二期Bでも操作の効果に再現性が認められた。回帰直線の傾きの差は認めないものの、操作導入期(B)でNRSの低値を示した。
【考察】術前の詳細な評価と、ヘルニア摘出による症状の劇的な改善等からも、初期の病態は腰椎椎間板ヘルニアによる神経根障害であったと思われる。しかし、術後4日目に増悪した下腿以下の症状は、神経根造影検査からも椎間板ヘルニア再発による神経根症状とは考えにくく、症状・所見も総腓骨神経圧迫症候群を示唆するものであった。これは、損傷した神経根の回復を待たずして、L5神経根を含む総腓骨神経に機械的ストレスが加わった為に二重挫滅症候群に類似した臨床像を呈したものと考える。総腓骨神経の圧迫因子としていくつかの報告がある。本調査では、腓骨頭の腹側誘導にて明らかな改善を認めた事から腓骨頭後方での総腓骨神経の圧迫症状であったと考える。腰椎椎間板ヘルニアは、保存療法が選択されることが多い事からも、二重挫滅症候群の存在を考慮する必要があると思われる。
【理学療法学研究としての意義】腰部神経根症による下肢痛を呈する症例に対して、神経学的検査やSLRT・FNSTなどに代表される神経根緊張検査に加え、各末梢神経の触診や絞扼因子を考慮した理学検査項目を追加する必要性を提示している。