抄録
【はじめに、目的】 軽度認知機能障害(mild cognitive impairment: MCI)を有する者はアルツハイマー病(Alzheimer's disease: AD)への移行リスクが高い。一方、MCIの状態から認知機能が改善される可能性が示されており、MCIはAD発症予防の観点から注目されている。MCIの認知機能低下予防をするために様々な介入プログラムの効果が検討されているが、中でも有酸素運動を中心としたプログラムがMCI高齢者の認知機能向上に効果を有している事が明らかになりつつある。我々は、認知機能低下の予防を目的として有酸素運動を中心とした複合運動プログラムを開発し、歩行プログラムを積極的に取り入れた。しかし、MCIに対して行われている運動プログラムが、歩行能力自体にどのような効果を有しているのかは未だ明らかになっていない。また、高齢者が安定かつ効率的に歩行するためには体幹安定性を高めることが重要とされている。そこで、本研究の目的は、MCIを有する高齢者を対象に、6か月間の複合的運動プログラム実施が、体幹安定性を含む歩行能力にどのような影響を与えるかを、ランダム化比較試験にて検証した。【方法】 対象は、高齢者の認知機能低下予防を目的としたOBU studyに参加し、ベースライン調査を受けた地域在住高齢者135名のうち、Petersonの基準を満たしたMCI高齢者100名(年齢: 75 ± 7 歳、男性: 51名)とし、運動群と講座群の2群にランダム割り付けを実施した。運動群は、有酸素運動を中心とし、筋力トレーニング、バランストレーニング、記憶・学習を要する運動課題や同時課題(dual-task)での運動を複合的に実施するプログラムを行った。一回の介入時間は90分とし、週2回、合計40回を6か月にわたり実施した。講座群の者は、期間中に2回開催された健康に関する講座を受講した。介入前のベースライン時と介入終了時(6か月後)に歩行の評価を行った。歩行の評価には小型の3軸加速度計を用い、第3腰椎棘突起部付近に装着させた。歩行路は平坦な11mとし、中央5mの歩行時間と5歩行周期における加速度データを取得した。歩行条件は通常歩行と数字の逆唱を行いながら歩行するdual-task歩行の2条件とし、周波数解析により歩行の滑らかさを表す指標としてharmonic ratio(HR)、歩行時間から歩行速度を各々算出した。HRは値が大きいほど歩行が安定しているとされ、3軸の各方向におけるHRを算出した。統計解析は、ベースライン評価時における対象特性を群間比較するために対応のないt testを行った。各歩行指標において、ベースライン時と介入終了時の値に対し、介入効果を検証するため、歩行速度以外の指標に対しては共変量に性別ならびに歩行速度を用い、介入要因と群要因を検討する共分散分析を行った。全ての解析は、5%未満を統計学的有意とした。【倫理的配慮、説明と同意】 本研究は国立長寿医療研究センター倫理・利益相反委員会の承認を得た後に実施し、対象者より、事前に書面と口頭にて研究の目的・趣旨を説明し同意を得た。【結果】 ベースライン時での対象特性(年齢、性、body mass index)に群間差はみられなかった。各歩行指標において、群要因と介入要因の交互作用により介入効果が認められたものは、通常歩行においては、HRの垂直方向(F = 6.58, p = .012)と前後方向(F = 4.38, p = .039)であり、dual-task歩行においても同じくHRの垂直方向(F = 6.34, p = .014)と前後方向(F = 4.43, p = .038)において有意な介入効果がみられた。【考察】 本研究の結果から、軽度認知障害を有する者に対し、複合的運動プログラムが通常歩行ならびにdual-task歩行時の体幹安定性向上に効果を有していることが明らかになった。高齢者における歩行時の体幹安定性を保つことは安定した歩行を行うために不可欠であるが、運動介入が歩行の体幹安定性に与える効果はこれまで明らかになっておらず、本研究の結果が初めて示したこととなる。効果がみられた要因として、実施した複合的運動プログラムにおいて、有酸素運動メニューや屋外メニューとして歩行を実施した頻度が高かったことやdual-taskのプログラムも歩行を取り入れたものを多く実施したことがあげられる。また、dual-taskトレーニングの効果は課題特異性が高いことが先行研究により明らかとされており、本研究もその結果を支持した形となる。フォローアップを含め、更なる介入効果の詳細な検討を行い、より効果的なプログラムを完成させる必要がある。【理学療法学研究としての意義】 MCIの発症予防ならびに認知機能低下予防に対して運動療法の効果が期待されており、その効果の一つとして歩行能力が改善するというエビデンスを示した。歩行は理学療法士がアプローチする機会の多い動作であり、MCIのための運動プログラムにおいて理学療法が寄与できる可能性を示したと考えられる。