抄録
【はじめに、目的】 歩行においては進行方向の歩行路の確保、障害物の認識などの視覚情報の取得が必須である。これらに加えて対向者がある場合には、対向者との距離、スピード、回避するための避難路などの情報取得も同時に必要になる。情報取得後には視覚→認知→運動が連携し、回避動作を引き起こす。これまでに認知的負荷を与えた際の視線の変化、運動の変化は報告されているが、身体機能と視線の関係性を直接的に述べた報告は少ない。我々は運動機能情報が視覚情報獲得に対して何らかの影響を与えると想定して、本研究においては擬似下肢機能障害モデルによる身体機能の制約が、対向者の回避動作における歩行時の視線へ与える影響を明らかにすることを目的とした。【方法】 健常若年男性9名(平均年齢19.8 ± 1.3歳、右利き、以下被験者)を対象とし、歩行路(幅2.8 m、長さ14 m)において、前方より向かってくる対向者を回避する際の視線行動をアイマークレコーダーを用いて計測した。歩行条件は通常歩行、右下肢に長下肢装具負荷歩行、右下肢を障害側と想定した松葉杖歩行の3条件とした。被験者には、いずれの条件においても歩行速度は約1.0m/sで行うように指示し、十分な練習後に実験を行った。また、回避の際は、対向者が被験者を回避することはなく、自身が回避するように説明し、実験中に歩行に困難を感じても、立ち止まることなく歩行を続けるように指示した。対向者の開始位置は被験者の歩行開始地点から5 m地点を先頭とし、9名の対向者を1.5 m毎に1人もしくは2人、6列に亘って配置した。なお、全ての被験者に対し対向者の配置は同じものとし、対向者の服装は統一した。全ての対向者は92回/分のメトロノームにより、歩行速度が約1.0 m/sとなるように十分に訓練を行った。被験者とすれ違う際に、ステップ動作による回避は認めず、体幹回旋による回避のみ許可した。その後、視線解析により、各試行において歩行時間に対する対向者を見ていた割合、床面を見ていた割合をそれぞれ算出した。測定は各条件を2回ずつ、計6試行実施した。統計解析は、歩行時間に対して対向者および床面を見ていた時間の割合を従属変数、歩行条件を要因とした反復測定一元配置分散分析を行った。また、有意差が得られたものに対してBonferroni補正による多重比較検定を行い、5%未満を統計学的有意とした。【倫理的配慮、説明と同意】 全ての被験者に本研究の目的、内容を説明し、同意を得た。【結果】 歩行時間に対して対向者を見ていた時間の割合の平均は、通常歩行で53.4 ± 8.5%、長下肢装具歩行で40.9 ± 9.6%、松葉杖歩行で19.7 ± 6.6%であり、各条件間に有意差が認められた(p < 0.001)。また、床を見ていた時間の割合は通常歩行で21.2 ± 3.9%、長下肢装具歩行で46.6 ± 9.8%、松葉杖歩行で71.3 ± 6.3%であり、同様に各条件間に有意差が認められた(p < 0.001)。【考察】 本研究により、身体に不自由があることで、回避動作を伴う歩行中に対向者を見る時間の割合が減少し、床面を見る時間が増加することが示された。松葉杖歩行は、通常歩行の動作とは大きく異なり、上肢を使い松葉杖を正確に地面に付く、松葉杖への荷重を増やし下肢を振り出す、安全に着地することが要求される。よって、自身の歩行に大きく注意を払わなければならず、歩行する進路の情報も多くを認識することは困難となる。そのため、歩行路のうち自身により近いもののみを認識するために、視線が足元付近に集中し、結果として床面を見ていた時間が大きく増大したと考えられる。このため、対向者を見ていた時間が相対的に大きく減少したと考えられる。一方で、長下肢装具は身体に不自由は与えるものの、歩行動作自体は通常歩行と大きく変わることはない。しかし、装具による不自由・制限があることで、通常歩行時よりも歩行に注意を割かなければならない。よって、松葉杖歩行ほど極端ではないが、床面を見ていた時間の割合は増加し、対向者を見ていた時間の割合は減少したと考える。【理学療法学研究としての意義】 本研究により、装具などにより身体機能が制限されることや歩行補助具の使用が、対向者回避を伴う歩行時の視線を下方変位させることが明らかになった。疾患や手術、外傷などによって、身体機能の急速な制限や、装具・歩行補助具の使用が必要となることは多々ある。このような症例が、以前と同じように歩行しようとすると視線が下方を向き、対向者との接触やそれによる転倒を招きやすいと考えられる。しかし、事前にその視線変化の特性を周知することで、転倒リスクを軽減できる可能性がある。本研究の結果は、急速な身体制限が生じた症例、装具初心者の転倒予防の一助となると考えられる。