抄録
【はじめに、目的】 腱振動刺激は筋紡錘の発射活動を引き起すが,その求心性入力から刺激された筋が伸張されていると知覚することで,あたかも自己関節運動が生じたような錯覚を惹起させることができる(Goodwin1972).こうした運動錯覚の責任領域は,左右肢に関係なく右半球優位(運動前野や頭頂葉)であると報告されている(Naito2005).一方,物体接触時に手関節伸筋腱を振動刺激すると,物体が関節運動と同様の方向に動く視覚的な錯覚が生じる.この際,視覚的錯覚が惹起した際には左半球優位(下頭頂葉,44/45野)に活動することが明らかにされている(Naito2006).我々は運動錯覚範囲内に物体を視覚的に提示することで運動錯覚程度が変化し,その変化をもたらす責任領域が右運動前野であることを明らかにした(今井2011).しかしながら,その変化が物体の視覚的入力に基づくものか,錯覚によって物体に接触するイメージに基づくものかは明らかにできていない.本研究は物体の位置を変化させ,視覚的入力を変えることで脳活動に変化が生じるかを明らかにする.【方法】 被験者には振動刺激によって錯覚を経験した際にその錯覚強度が4以上(5段階評価;上昇系列で強)の11名(健常大学生)を選考した.振動刺激装置(旭製作所SL-0105 LP)を錯覚が惹起しやすい周波数80Hz,0.2~0.3A(Naito;2001)で使用した.条件は次の3条件とした.条件1:物体なしで手関節総指伸筋腱を振動刺激.条件2:手関節を掌屈すれば物体に接触する距離に物体提示し手関節総指伸筋腱を振動刺激.条件3:手関節運動によって物体に接触しない距離に物体提示し手関節総指伸筋腱を振動刺激.物体の提示位置は,条件2では舟状骨近位から第3指末節骨先端の長さの30%,条件3では舟状骨近位から第3指末節骨先端の長さの150%とした.またコントロールとして両条件で手関節総指伸筋腱付近の皮膚を刺激した.これは錯覚時の脳活動を得るために腱振動刺激からマイスナー受容器やパチニ受容器などの皮膚刺激受容器興奮に基づく脳活動を減算するためである.測定プロトコルは安静10秒-課題20秒-安静10秒とし,1条件につき3回連続で実施した.測定には機能的近赤外分光装置[fNIRS(島津製作所製 FOIRE3000)]を用い全49ch(前頭葉~頭頂葉)で測定した.指標には酸素化ヘモグロビン(oxy-Hb)値を用い,数値を加算化し平均値を算出した.さらに得られた値のeffect size (課題時oxy-Hb平均値-安静時oxy-Hb平均値/安静時標準偏差)を各chで算出した.このeffect size値を統計処理に用いた.条件別比較には一元配置分散分析を用い事後検定にはt-testを用いた.なお,統計処理は全chと各領域別のROIによる解析を行った.有意水準は5%未満とした.【倫理的配慮、説明と同意】 被験者には本研究の趣旨を説明し参加の承諾を得た.【結果】 全条件ならびに全被験者で運動錯覚の惹起を認めた.なお,運動錯覚の惹起は振動刺激後に手関節運動を被験者に再現させ確認した.ch別の比較ならびにROI解析の結果,他の2条件に比べ条件2で右頭頂葉,右運動前野に有意な活動量の増加が認められた(p<0.05).【考察】 自己の身体認識においては,ラバーハンド錯覚の実験を通じて右運動前野が責任領域であることが判明している(Ehsson2004).また振動刺激による運動錯覚時においては,右頭頂葉の活性化が認められており (Naito,2005),これらから,本結果は自己の身体知覚に基づいた運動知覚の惹起が生じていると考えられる.一方,条件1や3よりも2で活動が増加した背景としては,物体との接触イメージが働いている可能性がある.条件1は物体を提示しておらずそのイメージは惹起されない.一方,条件3は物体が視覚的に提示されているが,運動錯覚が生じたとしてもその関節運動範囲内に物体が提示されていないためにイメージは惹起されない.これらから,条件2で右頭頂葉と運動前野に活動増加を認めた背景には物体と接触するイメージが惹起された可能性がある.右頭頂葉には視覚と体性感覚の両方に応答するbimodal neuronが発見されていることからも,今回の活動増加は手の触覚的イメージの惹起に伴うものと考えられる.【理学療法学研究としての意義】 腱刺激による運動錯覚と運動イメージ時の脳活動は共通することが明らかにされている(Naito,2002).また,運動イメージの想起が脳卒中患者の上肢機能回復に効果的に関与することが報告されている(Sharma, 2009).脳卒中患者に対する運動イメージ課題において,身体認識に関わる右半球の活動をより増加させたい場合には,身体と道具を接触させないが,関節運動のイメージが想起されれば接触する距離に道具を配置することが適切であることを今回の基礎実験で示した.