抄録
【目的】 脳損傷後には,Subjective Visual Vertical(以下,SVV)の偏倚が生じ,この偏倚はバランス障害などに関与するとされる。脳損傷後の特徴的な姿勢定位障害であるContraversive Pushing(以下,pushing)においても,その異常姿勢の背景としてSVVの調査が行われている。複数の報告で,SVVの標準偏差の増大が報告されているが,SVVの平均値においては対立的な意見が多く,未だ結論を得ていない。また,SVVの偏倚には半側空間無視(以下,USN)が関与し,特に右半球損傷例ではSVVの偏倚が長期間に及ぶことが報告されている。このようなSVVの半球間差異がpushing例においても存在するのかは不明である。本研究の目的はpushingを呈した右半球損傷例と左半球損傷例のSVVを調査し,SVVの半球間差異を明らかにし,pushing例のSVVに関与する要因を抽出することである。【方法】 Scale for Contraversive Pushing(以下,SCP)を用いて評価し,各下位項目>0を満たした者のうち,SVVの測定が可能であった初発脳卒中患者14例を対象とした。右半球損傷患者(以下,RL群)は9例(66.1±8.8歳,男性6例,女性3例),左半球損傷患者(以下,LL群)は5例(70.4±9.3歳,男性4例,女性1例)であった。意識障害(JCS:10以上),重度の注意障害や失語症,精神障害を呈する者,重度の視力,視野障害を呈する者,眩暈や前庭機能不全の既往がある者は対象から除外した。また,全ての対象者は右利きであった。SVVの測定は,暗室で,車いす座位で実施した。発光ロッド(長さ20cm,幅1cm)を直径20cmの円盤に取り付け,ロッドの中心を被検者の目の高さで前方約50cmに設置した。ロッドを左右方向へ45°以上傾斜させた位置から,円盤の側面に取り付けたヒモを非麻痺側上肢で操作することでロッドを垂直にする課題を実施し,垂直位からの誤差角度を測定した。各方向で2回ずつ合計4回測定し,各回の絶対値の平均(以下,SVVam)と標準偏差(以下,SVVsd)を算出した。また,運動麻痺,感覚障害の程度をStroke Impairment Assessment Set(以下,SIAS)の上下肢運動機能項目,下肢感覚項目の各合計点,USNの程度をBIT行動性無視検査日本語版の星印抹消試験(以下,SC)の点数として表した。RL群とLL群におけるSVVam,SVVsd,SCP,SAISの運動機能項目,感覚項目,SCの各点数をMann-Whitneyとt検定を用いて比較した。また,両群の各項目間における相関をSpearmanの相関係数を用いて検討した。有意水準は5%未満を統計学的に有意とした。【倫理的配慮、説明と同意】 すべての対象者に本研究の主旨を説明し同意を得た。【結果】 RL群とLL群における各項目の比較において,SVVam (RL群:4.4°,LL群:1.4°,p<0.05),SVVsd(RL群:3.0°,LL群:0.9°,p<0.05),SCの点数(RL群:43.7±9.7,LL群:52.4±1.8)に統計学的有意差がみられた。また両群の各項目間における相関については,RL群のSVVam(r=0.91,p<0.01)とSVVsd(r=0.68,p<0.05)はともにSCPの点数とのみ統計学的に有意な正の相関をみとめた。【考察】 Pushing例のSVVには半球間差異が存在し,右半球損傷例ではよりSVVが偏倚していた。先行研究から背景にはUSNや感覚障害の重症度の関与が推察された(Pérennou et al. 2002,Saj et al.2005,Barra et al. 2009)が,pushing例のSVVはUSNや感覚障害とは相関せず,pushingの重症度のみと相関した。このことは,SVVの偏倚が姿勢定位に何らかの影響を及ぼしている可能性を示唆するものと推察される。Pushing例では外部中心的な空間参照であるSVVの異常よりも,自己中心的な空間参照であるSubjective Postural Vertical(以下,SPV)の異常が多くの先行研究で報告されており,著しい姿勢定位障害の背景として推察されている。しかしながら,SPVの偏倚ほどではないものの,SVVの異常が存在することを示唆する報告(Pérennou et al. 2008)もある。本研究の結果は,特に右半球損傷後のpushing例への理学療法アプローチにおいて,外部中心的な空間参照においても何らかの障害が生じている可能性を考慮していく必要性を示唆するものと思われた。【理学療法学研究としての意義】 本研究は,pushingを呈した症例におけるSVVの半球間差異を明らかにし,特に右半球損傷によるpushing例への理学療法アプローチの立案においては,自己中心的空間参照の異常のみならず外部中心的空間参照の異常を考慮すべきことを示唆した。