抄録
【はじめに】 上肢と半側空間無視(USN)の関係性ついてRobertsonら(1992)は,左上肢の使用がUSNの改善を促すことを報告し,Farneら(2004)はUSNの改善と上肢の機能回復には相関があることを報告した。USN症例は,損傷部位によって運動麻痺を呈さない場合でも,上肢への注意の方向づけが困難となり,上肢が不使用になることも多い。今回,右大脳半球損傷により軽度の左上肢麻痺,重度のUSNを呈し,ADL場面において左上肢が不使用であった症例に対して,視覚探索から上肢による物品操作へ条件を段階的に負荷させていく課題を実施しUSNの改善が認められたので報告する。【症例紹介】 症例は,出血性脳梗塞(右運動前野,前頭前野~上側頭葉)発症後1ヶ月が経過した右利きの70歳代女性である。BRSは左上肢,手指,下肢ともにV,表在・深部感覚は中等度鈍麻であった。行動性無視検査日本版(BIT)では,通常検査が45/146,行動検査が15/81であり,重度のUSNを認めた。その他の高次脳機能障害として,注意障害,記憶障害,抑制障害を認めた。食事では左側の食べ残し,左上肢の不使用を認めた。歩行では,左側障害物への接触,道順障害を認め,常に声掛けと誘導を要した。機能的自立度評価法(FIM)は,62点であった。【説明と同意】 本研究は,村田病院倫理審査会にて承諾を得た後に,対象者に本研究の主旨について説明し同意を得た。【経過】 空間性注意は頭頂葉,前頭葉,視床と帯状回などのネットワークから構成されており,右大脳半球は左右の空間に注意の方向付けを行っている。本症例は,前頭葉を中心とした損傷により前頭葉と頭頂葉のネットワークが遮断され左空間への注意が欠損しUSNが生じていると考えられた。また,前頭葉の損傷により持続性,選択性などの全般性の注意障害,抑制障害が出現していた。さらに,上側頭葉の損傷により外部の対象に対して,視覚による対象の特徴(局所)を分析することが困難であった。そのため,ADLでは左空間の情報や左上肢に対して注意を方向付けることや対象を分析することが困難となり,極端に注意が右側へ引き付けられ,その結果,認識可能な右空間にて行為が成立していると推察した。以上より,開眼下で左右の視空間にある対象物を介して認識可能な右空間から左空間へ注意を拡大することが必要であると考えられた。対象物には前後左右のある物体を用い,対象物のもつ意味をふまえた上で操作するような課題を設定することで上側頭葉の活性化,前頭葉を中心とした注意のネットワークの活性化につながり左上肢へ注意を方向づけることが可能になると考えた。よって,左視空間の拡大を目的として,初めに左右視空間上の対象物の位置識別課題を行った。放射線が書かれた用紙の上に動物の積み木を配置し,どの放射線上にどの動物がいるのかを右空間で確認後,その対称点上にある左空間の動物を視覚にて探索させ,解答させた。また,右空間と左空間でどの動物の組み合わせが向き合っているのかを視覚にて解答させた。これにより左視空間の拡大が得られ,左上肢への注意の方向付けが可能になったため,次に,左上肢の使用による右半球の活性化を目的として左上肢を用いた対象物への操作課題を行った。右空間の動物と対称点上となる左空間に,動物同士が向き合うように左上肢の操作にて並べさせた結果,左視空間に左上肢を用いることが可能となった。【結果】 3週間の介入後,BITは通常検査で131/146,行動検査で72/81と改善がみられた。食事の際に左手の参加がみられ,歩行時の左側障害物への接触もなくなった。FIMは,92点に向上を認めた。【考察】 前頭葉~側頭葉にかけて損傷されたUSN症例に対し,注意の持続,選択といった前頭葉機能と対象の特徴を分析するという上側頭葉の機能に着目し介入した結果,左上肢への注意を向上させたと考えられる。村田ら(2004)は,把握する対象物へ注意を向けることは,明らかに到達把握運動の視覚的制御をより正確に行うために重要であると述べている。このことから,課題の段階付けとして視覚情報に対しどのように注意を作動させるかといったことを考慮した上で,まず開眼下で特徴のある対象物を用いて左視空間の拡大を図り,対象物と左上肢の使用に有意味な関係性をもたせたことがUSN改善に有効であったと考えられる。【理学療法学研究としての意義】 前頭葉~側頭葉にかけての重度のUSNに対して,特徴のある対象物を左右視空間で探索することと,左上肢の使用を意味のある課題設定と段階付けて行うことが,USN改善の一助になると考えられた。