抄録
【はじめに】 今回,重度左半側空間無視(以下:左USN)を呈した左片麻痺患者に対して,身体認識の向上を目的に治療介入を行った結果,改善を認めたので報告する.【症例紹介】 症例は,平成22年6月下旬に中大脳動脈領域の梗塞により,右前頭葉・側頭葉・頭頂葉に脳梗塞を発症し,左片麻痺を呈した80歳代の女性である.発症後1ヶ月の身体機能評価として,Brunnstorom stage(以下:BRS)は,左上肢2,手指2,下肢4であり,感覚は表在・深部共に中等度鈍麻であった.高次脳機能評価においては,TMT-A・B共に実施困難であり,BIT通常検査は48点,行動検査は3点であったことから,注意障害と左USNが認められた.Barthel Index(以下:BI)は40点で,食事動作以外に介助を要する状態であった.座位保持は,空間における身体の位置関係の認識が低下している事により,姿勢の崩れを認識する事が困難であった.その為,能動的に修正する事が出来ず,座位姿勢の保持が出来ない状況であった.また,左空間に対する能動的な探索は皆無で,他動的に注意を促しても注意の持続が困難な状況であった.その時の内省として,「左手がないです」や,セラピストの上肢を持ち,「自分の左手です」などの言語記述が認められた.これらの内省や行為から,内部空間における左USNが認められた.以上の評価より,外部,内部共に認識可能な空間が右側に偏倚している状況であり,認識可能な右空間のみで全体を補完していると考えられた.【説明と同意】 本症例に対して研究の説明を十分に行い,同意を得た上で書面にて署名を得た.【経過】 評価結果より,本症例は左側への注意喚起が外部・内部空間共に困難な状態であり,認識可能な右空間のみで動作を行うため,左を無視する状態であると解釈した.しかし,本症例においては,視覚と比べ体性感覚は左側への注意喚起が容易であった.そのため,治療方略を立案する上で,体性感覚情報での回答を求めるような課題を開始し,身体認識の向上に伴い,視覚情報との比較照合を図った.治療経過として,左半身の認識向上と,正中位での端座位保持が可能となる事を目標に,右上肢での左身体のPointing,椅子座位での臀部圧や身体の位置関係の確認など,体性感覚情報を基にした左右比較課題を実施した.また,訓練開始時は覚醒度が低く,傾眠傾向であった為,YES/No反応で回答出来る難易度の課題設定とした.その後,経過に伴い除々にYES/No反応のみでは回答出来ない難易度に変更し実施した.経過に伴う内省の変化として,端座位時に「右の肩が左の肩よりもいかってます」や「右のお尻の方が体重がかかってます」などが聞かれるなど変化が認められた.このような内省の変化は,左空間に対しても注意を分配し,自己身体の空間的な関係性や,臀部圧などの体性感覚情報を基に,左右を比較する事が可能となった結果と考えられた.これに伴い,端座位での姿勢の崩れを認識出来る様になり,能動的に修正する事も可能となった.端座位保持が安定した後より,廃用症候群予防の目的にて,Activeでの両下肢運動課題を実施した.また,五目板を用いて,患側と健側の下肢の位置を合わせる左右対称課題を実施した.更に症例の身体状況に応じて,訓練時の環境設定を座位から高座位,立位と変更し,立位での荷重訓練,歩行訓練等を実施した.訓練の実施過程において,全て非視覚下より開始し,体性感覚情報に注意を向ける様に促し実施した.課題時の正答率が向上し,体性感覚情報での認識が向上した後に,視覚下で行い比較照合を促した. 結果として,発症6ヵ月後には,BRSは上肢,手指に改善は認められなかったものの,下肢は4から5,感覚も軽度鈍麻と改善が認められた.また,左身体や空間の認識向上に伴い,車椅子のフットプレートの操作や,自身の左上肢の管理も可能となった.動作面においては,移乗動作と立ち上がり動作は軽介助から見守りレベル、歩行は平行棒把持にて軽介助レベルとなり,BI55点と改善が認められた.【考察】 富永は,USN症例は,偏倚した空間座標系を基に,行為が行われることで,運動空間に変質が起こりうる可能性が考えられると述べている.今回,治療介入を行った結果,内部・外部空間の適正化により,身体認識が向上したことで,立ち上がりや移乗動作などに改善が認められたと考えられた.【理学療法学研究としての意義】 身体認識が低下している症例が,正しい動作を獲得するためには,動作の反復を行うのみではなく,動作訓練の前段階として,身体認識の向上が重要であると考えられた.