抄録
【はじめに】 腰痛に対する考え方は生物学的損傷から生物心理社会的モデルへと変遷している。腰痛患者の9割以上は自己限定性疾患(グリーンライト)であり、発症や再発、慢性化には心理社会的危険因子であるイエローフラッグが存在しているため、問題解決にはそれを踏まえた理学療法(PT)アプローチが必要である。今回、手術適応とされたが保存的治療を希望した腰部脊柱管狭窄(LSCS)症例に対するイエローフラッグを考慮したPTの経過を報告する。【方法】 ガソリンスタンド勤務の68歳男性。診断名LSCS。09年4月、腰痛および両下肢痛と痺れによりA病院を受診し手術適応とされ、B病院では早期入院と手術を促された。しかし、「手術で腰痛は改善しない」との概念があり、手術に抵抗があった。同年10月、当院受診し仙骨神経ブロックにて左下肢の症状は改善。翌年1月、ブロック中止し血管拡張薬を服用しつつPT開始した。主訴はNRS7~8の腰痛、右臀部痛、右下腿痛と痺れによる立位・歩行困難であった。日常生活に支障を来したが、仕事や農業の手伝いなど身体的負担が大きく症状誘発因子となり得る活動を継続していた。約40年間の勤務で、重労働もあり21歳を初めに計4回のぎっくり腰の既往がある。睡眠障害があり、排尿障害はなかった。MRI所見では、L4/L5椎間板の後方突出による著明な脊柱管狭窄とL2/L3、L3/L4レベルで骨棘形成に伴う椎間板膨隆による脊柱管狭窄を認めた。リエゾン精神医学簡易調査票(BS‐POP)は、医師項目11点、患者項目19点の陽性で精神的問題の関与が示唆された。【説明と同意】 本研究に際し本人への十分な説明を行い,書面で発表の同意を得た。【結果】 <評価>立位は筋インバランスを引き起こす典型的な不良姿勢で腸腰筋、大腿筋膜張筋、ハムストリングスに短縮を認め、両股関節可動域で屈伸と内旋制限、外旋の増大を認めた。MMT上、殿筋群3以下と抑制され、代償的に大腿筋膜張筋、ハムストリングス4以上であった。他の神経学的検査では、右膝蓋腱・アキレス腱反射の低下、右下腿遠位~足底の感覚鈍麻を認めたが、大腿・坐骨神経の神経症状は認めず末梢神経原性疼痛を否定した。画像所見から予測される椎間板性の前屈制限でなく、伸展、側屈制限と頚椎や下肢関節での代償運動を呈した。体幹表層筋群は硬く、胸腰椎椎間関節の可動性低下を認め、腰椎後弯可動性(PLF )テストは左右115°で椎間関節の拘縮が示唆された。馬尾症候群を疑わせる所見、炎症性要素を裏付ける所見は認めなかった。評価を通して疼痛回避行動としての筋性防御がみられ、安静時でも過緊張状態で腹臥位、右側臥位、長時間の背臥位困難であった。日本整形外科学会腰痛疾患治療成績判定基準(JOAS)は自覚症状、他覚所見、日常生活活動3項目の総合点7/29点であった。<PTアプローチ>情報と評価から重篤疾患を疑う兆候はなく、疼痛回避行動、睡眠障害、手術の宣告などのイエローフラッグが存在した。疼痛回避行動としての筋性防御とそれに伴う過緊張による自由度の少ない運動や動作を学習、強化した中枢神経系からの出力が、不良姿勢と関連した筋インバランスを呈したと推論した。椎間関節は脊髄神経後枝内側枝の支配を受けており多裂筋弱化や腰背部筋の緊張による痛みの誘因となる。さらに椎間関節拘縮により殿部、下肢への関連痛を生じることがあり、股関節拘縮もその一因となり得る。そこで、腰背部筋・軟部組織のリリースと股関節短縮筋に対するストレッチ、筋インバランスに対する股関節等尺性エクササイズを施行した。同時に趣味や仕事などの活動を継続させ、週2回のPTにて継続管理し回復の順調さを伝えた。<経過と結果>1ヵ月後、不良姿勢は改善。3ヵ月後には立位・歩行とも延長した。6ヵ月以降は足底にNRS3の痺れ残存するも痛みは消退、仕事を含む活動制限や支障は来さなかった。評価では、股関節可動域と腰背部筋・軟部組織の柔軟性は向上した。PLFテストは左145°、右135°と改善傾向であった。MMT上、殿筋群4以上と向上した。JOASは22/29点、BS-POPは 医師項目9点、患者項目14点で陰性となった。【考察】 LSCSは馬尾や神経根の機械的圧迫とその圧迫性神経障害に起因する症状の存在から診断されるが、画像上の馬尾や神経根の圧迫は必ずしも神経症状を惹起しない。現症におけるイエローフラッグは問診やPT評価から推察でき、疼痛メカニズムとの関連性も推論できる。イエローフラッグと身体的問題はリンクしており、PTによる身体的治療介入は整形外科を受診する患者のニーズに合致することが示唆された。【理学療法学研究としての意義】 イエローフラッグに対するPTは、継続管理による症状のコントロールと同時に、グリーンライトを指導・強化することにより患者自身の自己管理を促すことが重要で、器質的因子と心理社会的因子の両面を考慮した個別アプローチの展開が望まれる。