抄録
【はじめに】 頚部脊髄症(CSM)患者が,「柔らかい物を握り潰してしまう」「持っている物を落としてしまう」といった症状を訴えることがある.これらの症状には,深部感覚や微細な触圧覚の伝導経路である脊髄後索への機械的圧迫が関与していると思われる.しかし,上肢の後索機能については,下肢における重心動揺検査のような客観的評価が確立されていないのが現状である.我々は,脊髄後索機能の客観的評価システムを独自に構築し,上肢後索機能が障害されたCSM患者は物を持ち上げる際に必要以上のピンチ力を発揮してしまうこと,視覚情報なしにピンチ力を一定に保持できないことを報告してきた.今回,CSM手術症例を同システムで経時的に評価し,他の機能検査との比較から本システムの臨床での有用性を検討した.【方法】 CSM手術症例16名(男性11名,女性5名,平均年齢70.4±9.1歳)の31肢を対象に,術前,術後2週,3ヶ月,6ヶ月の各時期に評価を行った.評価システムの概要は,ゴム製の測定部を把持するとその内圧が開口部からチューブを介して水銀圧力計と圧センサに分岐し,圧センサで感知した圧力がモニタリング装置を介してA/D変換され,コンピュータにピンチ力(mmHg)として経時的に保存される.評価A:200gの重りをつけた測定部を最小限の力で持ち上げさせ,定常状態に到達後,5秒間の平均ピンチ力を求め,指標にした.評価B:最大ピンチ力の20%および40%のピンチ力を維持させ,定常状態に到達して5秒以上経過した時点で閉眼させ,ピンチ力を維持させる.閉眼後のピンチ力の変動を閉眼前5秒間の平均ピンチ力に対する閉眼後5秒間のRMSの割合で求め,Variability Indexと定義し,指標とした(VI20%,VI40%).なお,ピンチは母指と示指の指腹にて行わせた.また,上肢JOAスコア,10秒テスト,手指触圧覚(Semmes-Weinstein monofilament),2点識別覚,最大ピンチ力についても各時期で評価した.統計処理として,評価別に各時期の測定値を多重比較検定(Tukey-HSD法)にて比較し,有意水準は5%未満とした.【説明と同意】 対象者には事前に本研究の趣旨,安全性,匿名化について十分な説明を行い,同意を得た.【結果】 評価Aの経過は,術前,術後2週,3ヶ月,6ヶ月の順に19.7±7.7,19.7±9.6,17.6±9.1,16.9±9.0mmHgで,有意な改善は認められなかった.評価Bは,VI20%が6.0±5.4,6.0±5.2,7.0±5.0,7.2±7.3%で,こちらも有意な改善は認められなかった.一方,VI40%は6.8±6.0,5.0±3.1,3.3±2.0,3.9±2.8%という経過で,術前に比べ,術後3ヶ月と6ヶ月で有意に改善していた.他の上肢機能検査では,術前に比べ,上肢JOAスコアが術後の全時期で,10秒テストが術後3ヶ月,6ヶ月で有意な改善を認めた.上肢JOAスコアは術後2週と6ヶ月の間にも有意な改善を認めた.【考察】 形状の変化しやすい対象物を形を変えずにそっと持ったり,一定の力で持ち続けるには,深部感覚や触圧覚からの求心性感覚情報の入力が必要不可欠である.それら感覚の上行経路を脊髄後索が担うため,ピンチ力調節能力の欠落は間接的に脊髄後索の機能障害を意味すると考えられる.我々の評価システムはそれらを数値的に捉えようとするものである.本研究では,手術による有意な改善は評価BのVI40%に限られていた.他の機能検査の経過では,10秒テストの改善がVI40%の経過に最も類似していた.10秒テストは手指の痙性麻痺の評価であるが,本評価システムでは感覚入力のみならず,運動出力の調節も必要となるために経過が類似した可能性がある.評価システムを用いた他の評価で明らかな改善を認めなかった原因として,システム自体の問題が考えられる.ゴム製の測定部は内部が空洞であり,力が加われば凹み,離すと元の形状に戻る特性を有するが,凹んだ状態からの変化がほとんどなく,一定の力を維持するのが比較的容易であった.そのため,術後の変化を鋭敏に捉えるには至らず,今回の結果に繋がったものと考えられる.今後は,より高感度な評価システムの確立に向けて,ピンチ対象物の材質や硬さの変更,ピンチ力の計測方法や解析方法についても再検討し,他の機能検査との相互関係も含めて考察していく必要があると考える.【理学療法学研究としての意義】 臨床症状を客観的に評価することは理学療法の治療効果を判定する上で重要である.本研究はCSM患者の術後経過を検討したに過ぎないが,脊髄後索機能障害は多発性硬化症など,他の理学療法対象疾患でも起こり得るため汎用性があると考える.また,本システムを改良することでフィードバック療法への応用も可能であり,多方面への発展が期待できる研究テーマである.