抄録
【はじめに、目的】 糖尿病合併症の一つである糖尿病性神経炎(DPN)は糖尿病患者の約70%に発症するとされ,糖尿病患者の生活の質を低下させる一要因となっている. DPN の症状は四肢末端の感覚障害や自律神経障害が主体である一方,筋萎縮や筋力低下といった運動神経線維の障害に由来する症状は慢性期に至るまで殆ど観察されない.そのため,DPNによる運動神経系の障害に関する研究は運動神経伝導速度の低下や神経終末の減少などを報告する報告が散見されるのみである.そこで,本研究ではI型糖尿病ラット(STZラット)を用いてDPNが運動ニューロンに与える影響を調べたいと考えた.脊髄の前角に位置する運動ニューロンは骨格筋(錘外筋)を支配する大型のα 運動ニューロンと筋の長さ受容器である筋紡錘の錘内筋を支配し,その感度調節を行う小型のγ 運動ニューロンの2 種類に大別される.本研究は糖尿病ラットを対象に運動ニューロンの細胞体を逆行性標識し,細胞体の大きさを指標にDPNがα 運動ニューロンとγ 運動ニューロンに与える影響を調査することを目的に行った.【方法】 実験にはWistar系ラット12頭(7週齢,♂)を用いた.[I型糖尿病ラットと健常ラットの作成] 実験開始前に12頭全てのラットの随時血糖値を計測した.次に6頭のラットに生理食塩水に融解させたstreptozotocin100mg(和光純薬社製)を投与し,1週間後に随時血糖を再計測,その値が300mg/dl以上の物をI型糖尿病ラット(以下DMラットとした).6頭のラットには生理食塩水を投与し,1週間後に随時血糖を計測,その値が150mg/dl以下のものを健常ラットとした.前述した処置の後,10週間の生存期間を置いた.[運動ニューロンの逆行性標識と形態学的解析] ネンブタール腹腔内麻酔下において右窩の皮膚を切開し,脛骨神経を剖出,内側腓腹筋を支配する筋枝を同定・切断し,その断端の中枢側をDextran-Fluorescein(インビトロジェン社製)を生理食塩水に溶解させ10%溶液としたものに2時間浸した.次に術創を閉じ,補液や抗生物質の投与を行って迅速に回復させた. 2週間の生存期間の後,ネンブタール腹腔内麻酔による深麻酔下で左心室より4%パラフォルムアルデヒド(4℃)で環流固定を行い,腰髄以下の脊髄を摘出した.後固定の後,ビブラトームを用いて100μmの水平断切片を作成し,蛍光顕微鏡(オリンパス社製)で標本を観察,逆行性標識された運動ニューロンをデジタルカメラで撮影した.撮影したデジタルデータを用いて,運動ニューロンの細胞体の内径におさまりうる最大の楕円を当てはめ,その長径と短径を計測,両者の平均値を細胞体径として計測した.【倫理的配慮、説明と同意】 本研究は健康科学大学動物実験倫理委員会の承認を経て行っている. 【結果】 逆行性に標識されたニューロンの数は正常ラットが平均で131±11個,その平均径は36.3±6.6μmであった.一方,DMラットは平均111±15個のニューロンが標識され,その平均径は32.1±5.4μmとなり,糖尿病によって神経細胞が縮小し,またその数も減少することが分かった(P<0.05, t-test).また,いずれの群の細胞体の平均径のヒストグラムも大型のα運動ニューロンと小型のγ運動ニューロンに相当する2峰性の分布を示したが,DMラットのγ運動ニューロンに相当すると思われる細胞の数は減少傾向にあったが,統計学的な優位差は認められなかった(P=0.08, t-test). 【考察】 DPNの早期から観察される障害は感覚障害や自律神経障害とされてきたが,本研究によって糖尿病発症後早期から運動ニューロンが小型化するといった運動神経系の障害が存在することが示された.運動ニューロンの小型化に起因する障害については本研究では明らかにすることが出来なかったが,Burkeらの先行研究によれば運動ニューロンの細胞体の大きさとその発火頻度には強い相関があることがあるため,細胞体の小型化は運動ニューロンの発火頻度を低下させる可能性がある.また,統計学的な優位差は認められなかったものの,γ運動ニューロンには減少傾向が認められた(P=0.08).糖尿病の極初期にはアキレス腱反射が消失するが,これはγ運動ニューロンの消失による筋紡錘の感度低下が一部関与するかもしれない.今後はn数を増加させ,より詳細な検討を行なう必要がある【理学療法学研究としての意義】 糖尿病合併症であるDPNの初期には殆ど観察されないとされている運動神経系の障害が,予想されているよりも早い時期から生じていることを示した.このような新知見は糖尿病の病態の理解に役立つ.また,今後研究を発展させ運動療法が運動ニューロンの小型化に及ぼす影響を調べることによって,糖尿病を対象とした理学療法の新たな効果の発見につながる可能がある.