抄録
【目的】 近年,多くの研究において脳卒中患者は主観的な垂直認知に異常を来していることが報告されている.その中で,特に基本的な姿勢や動作に現れる「押す現象」はContraversive pushing(以下,pushing)と呼ばれ,これまでに姿勢保持異常や歩行障害との関連が示唆されている.pushingの評価にはKarnathらのScale for Contraversive Pushing(SCP)がありpushingの有無を判定するのに有用であるが,傾斜の程度に関しては「大きく傾いている」,「軽度傾いている」など評価者の主観的判断に委ねられている.他にもpushingの評価に関する報告は幾つかあるが,いずれも特殊な機器や環境を用意する必要があり,臨床的に用いるのは困難である.そこで,今回は脳卒中患者の主観的な垂直認知の偏位を簡便かつ客観的に評価することを目的に,関節角度計(以下,角度計)を用いた方法を考案し,検討した.【方法】 対象は健常者15名(男性7名,女性8名,平均年齢28.3±4.4歳,以下,健常群)と当院入院中の初発脳卒中患者29名(男性16名,女性13名,平均年齢68.7±12.6歳,右片麻痺15名,左片麻痺13名,麻痺無し1名,平均罹患期間45.8±28.8日)で,除外基準は失語症や認知症などで指示従命が困難なもの,車椅子上でも坐位保持が不安定なもの,両片麻痺などで両手の空間的定位に障害があるものとした.脳卒中患者はSCPスコア≧0.25の場合をpushingあり(11名,男性7名,女性4名,平均年齢73.2±11.1歳,右片麻痺6名,左片麻痺5名,平均罹患期間45.6±28.0日,以下,pushing群),SCP=0の場合をpushing無し(18名,男性10名,女性8名,平均年齢66.0±12.9歳,右片麻痺9名,左片麻痺9名,平均罹患期間45.9±30.0日,以下,pushing無し群)として更に分類した.主観的垂直認知の評価は角度計(東大式角度計KO,ステンレス,長さ600mm)を用い,以下の手順で行った.まず,高さ680mmの机の前で対象者に安定した椅子坐位または車椅子坐位をとらせ,閉眼させた.次に,机上の対象者に正対した位置に角度計を置き,対象者の健常人では利き手,脳卒中患者では非麻痺側の手に角度計の一方の軸(以下,可動軸)を握らせ,検査手側を始点とし可動軸を机から垂直だと思う位置まで動かし,止めるよう指示した.対象者が可動軸を動かし,可動軸が止まったら評価者は関節角度計の90度からのずれを目視にて確認・記録した.評価者は対象者に結果を告げず手を離すよう指示し,可動軸を始点まで戻し,これを3回繰り返した.偏位量は3回それぞれの絶対値の平均とした.統計学的分析として,比較検定にはt検定,Mann-Whitney検定及びSteel-Dwass検定,相関関係にはSpearmanの順位相関係数を用いた.有意水準は5%未満とした.評価は3名の理学療法士が行い,健常群を対象に級内相関係数ICCを確認した.【倫理的配慮、説明と同意】 本研究は当院臨床研究倫理委員会の審査を受け,承認を得て行った.対象者には本研究の目的及び方法を充分に説明し,同意を得た.【結果】 健常群を対象にした評価者3名の級内相関係数ICC(2,3)は0.730であった.健常群とpushing群の偏位量,pushing群とpushing無し群の偏位量で有意差を認めた(p<0.05:Steel-Dwass検定).pushing群のSCPスコアと偏位量に優位な正の相関を認めた(rs=0.811,p=0.01).【考察】 結果より,角度計を用いた方法による偏位量はpushing群で優位に大きな値を示し,SCPスコアと関連した.Perennouらによれば,主観的な垂直認知には視覚的,身体的,行動的の3種類があるとされ,これらのうち身体的垂直認知は閉眼における身体の垂直定位を指す.本研究における閉眼での結果はこれを反映したものと考えられ,pushing群における傾斜はKarnathらの先行研究と同様の結果であった.今回考案した方法は特別な環境を必要とする評価法に比べ,多くの利点がある.即ち,角度計という既に多くのリハビリテーション環境に存在する馴染み深い道具を利用し,比較的場所を選ばずに実施可能で,評価自体に要する時間も僅かである.今後はサンプルサイズの拡大や方法の更なる検討により,臨床的有用性を確認していきたいと考えている.【理学療法学研究としての意義】 本研究の結果から,角度計を用いた方法によりpushing患者の主観的垂直認知を簡便かつ客観的に評価できる可能性が示唆された.今後,更なる検証により臨床的有用性が確認できれば,リハビリテーション場面における臨床推論の一助となり得る.