抄録
【はじめに、目的】 転倒恐怖感は日常生活活動の制限や行動範囲の縮小、さらにはQOLの低下につながるとされており、高齢者においては社会的な問題として広く取り上げられている。しかしながら、人工股関節全置換術(THA)を施行した症例の日常生活における転倒恐怖については明らかになっていない。また、THA後は脱臼のリスクが伴うため、日常生活において脱臼に対する不安感も有していることが考えられる。これらの実態を明らかにすることは、THA後の適切な日常生活動作指導を確立する上で重要である。本研究では、THA後症例の日常生活における転倒恐怖感と脱臼不安感の実態と、それらに影響する因子を明らかにすることを目的とした。【方法】 本研究のデザインは横断研究である。クリニックが開催した「股関節教室」に参加した381名のうち、THA後の女性を対象とした。関節リウマチ、心疾患、視覚障害、脳卒中、めまいなどを有する症例は対象から除外した。転倒恐怖感の評価には、Buchnerらが作成した転倒恐怖スケールを股関節用に一部修正したものを用いた。質問項目は、入浴、戸棚やタンスの開閉、食事の用意・配膳、家の周りの歩行、布団・ベッドでの起居動作、階段、椅子の立ち座り、更衣(靴下含む)、掃除、買い物、床での立ち座り、下に落ちたものを拾う動作の12項目とし、それぞれの項目に関して、動作時の転倒恐怖の有無を聴取し点数化した(恐怖感ありで12点満点)。また、脱臼不安感の評価については、転倒恐怖スケールと同様の項目を用い、動作時の脱臼不安感の有無を聴取し点数化した(不安感ありで12点満点)。その他の評価として、股関節機能評価(OHS: Oxford hip score)、過去一年間の転倒歴、連続歩行可能時間、心理特性としての不安尺度評価(PSWQ: Penn State Worry Questionnaire)を用いた。 統計学的分析としては、転倒恐怖感、および脱臼不安感に影響を及ぼす因子を検討するため、従属変数を転倒恐怖スケールもしくは脱臼不安スケール、独立変数を年齢、術後期間、両側置換の有無、股関節機能、転倒歴、連続歩行可能時間、不安尺度、としたステップワイズ法による重回帰分析を行った。なお、調整変数として、BMIを強制投入した。【倫理的配慮、説明と同意】 対象者には研究の内容を紙面上にて説明した上、同意書に署名を得た。なお本研究は京都大学医学研究科・医学部医の倫理委員会の承認を得ている。【結果】 除外基準に該当せず、データの欠損のない214名 (年齢: 64.2 ± 8.5歳)を解析対象とした。対象者の術後経過期間は中央値4.1 (四分位範囲: 1.2 - 7.1) 年、両側置換率は30%であった。股関節機能OHSは、15 (四分位範囲: 13-18) 点、不安尺度PSWQは41 (四分位範囲: 36-47)点、転倒発生率は36%であった。連続歩行可能時間は1時間以上: 54%、30分-1時間: 30%、30-15分: 13%、15分以内: 2%であった。 対象者の転倒恐怖スケールは1 (四分位範囲: 0 - 3)点、脱臼不安スケールは2 (四分位範囲: 0 - 4)点であった。転倒恐怖を感じる割合が高かった項目は、階段(転倒恐怖あり: 45%)、入浴(26%)、拾う動作(26%)、床での立ち座り(25%)、家の周りの歩行(19%)であった。脱臼不安を感じる割合が高かった項目は、拾う動作(脱臼不安感あり: 60%)、床での立ち座り(42%)、更衣(34%)、入浴(31%)、階段(22%)であった。 重回帰分析の結果、転倒恐怖感に影響を及ぼす因子としては、股関節機能(β = 0.18)、転倒歴(β = 0.17)、連続歩行可能時間(標準化偏回帰係数β = 0.14)、不安尺度(β = 0.15)、年齢(β = 0.14)が抽出された。また、脱臼不安感に影響を及ぼす因子としては、不安尺度(β = 0.24)、股関節機能(β = 0.17)、連続歩行可能時間(β = 0.16)が抽出された。【考察】 本研究の結果より、THA後症例では日常生活活動における特定の項目で転倒恐怖感や脱臼不安感を高頻度で有していることが明らかになった。特に、階段、拾う動作、床での立ち座り、入浴動作では転倒恐怖感、脱臼不安感とも有しやすい傾向にあった。これらの項目に関しては、自信を持って動作遂行できるよう、入院中からの集中的な動作指導が必要であると思われる。 また重回帰分析の結果より、股関節機能、歩行能力、心理特性は転倒恐怖感、脱臼不安感の両方に影響を及ぼしており、このことはTHA後症例の日常生活動作指導を行う上では、下肢機能に加えて、もともとの心理特性も考慮する必要があることを示唆していると思われる。 【理学療法学研究としての意義】 本研究はTHA後症例の転倒恐怖、脱臼不安に着目した初めての研究である。日常生活におけるこれらの実態と、影響する因子が明らかになったことは、臨床現場において、より患者に即した理学療法を施行していく上での貴重な知見となると思われる。