抄録
【はじめに、目的】日常生活におけるヒトの行為の多くには指先での物体把持機能が欠かせない。一般的に「摘まみ動作」と称されるような微細な運動制御を必要とする場合には、母指と示指による精密把握が用いられ、その多くは100g以下の物体重量で多用される。一方、精密把握運動に関するこれまでの研究は国内外を通して100g以上の重量を用いたものに限られている。本研究では、100g以下の物体重量での計測が可能な把握器を試作し、健康成人での測定を行い、得られたデータから軽量物体の精密把握力調節の方略について検討することを目的とした。【方法】被験者は、20 名の健康成人(23.4 ± 6 歳、男性9 名、女性11 名)とした。試作した把握器は、3 台の自作軽量力覚センサーを組み合わせ、母指と示指による把握力、持ち上げ力を独立に計測できるようにした。その総重量は6gであった。課題は、椅子座位にて母指と示指を用いて把握器を持ち上げ、空中で10 秒間保持した後に、ゆっくりと手指の力を緩めることにより把握器を滑り落とさせた。重量は、把握器の下部に異なる錘を吊り下げることにより行い、6, 8, 10, 14, 22, 30, 40, 50, 70, 90, 110, 130, 150, 200gの14 段階を設定した。また、把握面における摩擦係数を変化させるために、滑りにくいサンドペーパーおよび滑りやすいレーヨン素材を両面テープで固定・可変できるようにした。各重量において8 試行、14 段階の重量変化、2 種類の把握面変化を条件として、各被験者で計112 回の試行を実施した。力信号は、応力アンプにて増幅し、各チャンネル600Hzの取り込み周波数でコンピュータに記録した。得られた力データからは、母指および示指の摘み力、把握器の持ち上げ力から、(1)把握開始から5 秒後の7 秒間における安定保持中の摘み力の平均値(安定把握力)、(2)滑り発生直前の摘み力(最小把握力)、(3)余剰な摘み力(安全領域値)、(4)安定把握力に対する安全領域値の割合(安全領域相対値)、(5)摩擦係数を評価指標として算出した。【倫理的配慮、説明と同意】本研究は大阪大学医学部研究倫理審査委員会の承認を得ている。全ての被験者に対して書面および口頭での説明を行い、自筆による署名にて同意を得た上で実施した。【結果】個々の力覚センサーの精度試験の結果、荷重3Nまでの範囲で高い線形性と精度を確保できた。安定把握力は物体重量にほぼ比例しており、比例係数(傾き)はサンドペーパーに比べてレーヨンで大きかった。最小把握力は、100g以上では重量とほぼ比例関係となったが、それ以下では比例値よりも低値となった。そのため、摩擦係数はサンドペーパーでは200gで平均値が1.1 であったが、重量の減少に伴い、6gでは1.3 となった。一方、レーヨンでは200gで0.6 前後であったが、6gでは平均値が0.9 となった。安全領域値は安定把握力と同様に物体重量にほぼ比例しており、サンドペーパーに比べてレーヨンにおいて全ての重量で大きくなった。また、両素材面において、安定把握力に対する安全領域値の相対値は6gの重量では80%と大きく、重量の増大に伴い曲線的に減少し、150g以上では40%となった。【考察】指腹部と把握面に生じる摩擦係数は、物体重量の減少に伴い上昇することが明らかとなった。特に、レーヨン面での上昇が顕著であった。これは、指腹部と把握面に生じる発汗の影響により、凝着力が関与していた可能性が考えられる。これにより、最小把握力においても50g前後の重量で顕著な減少を示した。一方、安定把握力は最小把握力の減少には比例しておらず、安全領域相対値が軽い重量域において高値を示す原因となっていた。その背景には、以下のような可能性が考えられる。軽重量では、(1) 把握面の接触面積・圧力が減少するため、指先の触・圧覚信号による滑り情報が減少し、補償的に把握力を強めた。(2)指先の皮下組織が有する粘弾特性により、随意的な力発揮とは異なる形で、付加的に把握力を増大させた。(3)非常に微小な力発揮のため、関連筋への負荷が効率的な問題となりにくく、結果的に粗大な力調節となり、把握力を余計に発揮した。現在、個々の要因についての検討も進めている。【理学療法学研究としての意義】これまで情報の存在しなかった100g以下の軽量物体における精密把握運動制御を客観的に測定するための、小型で簡便な装置を試作して健康成人での基礎データを提示した。本研究での測定装置・評価方法および基礎データは、脳卒中やパーキンソン病患者などの疾患特異的な運動制御方略や感覚運動機能の回復を客観的に調査するための手段となる可能性が示唆された。