抄録
【はじめに、目的】可動域制限を伴う肩関節疾患では,結帯動作が障害され日常生活動作に支障をきたすことがあるが,その改善に難渋することが多い.肩の可動域制限に対するアプローチは様々であり,肩関節周囲筋の緊張や軟部組織の癒着を取り除く徒手療法やセルフエクササイズ等が実施される.しかし,運動療法の介入に対する評価は困難であり,とりわけセルフエクササイズの効果を検証した研究は少ない.近年,機器を用いた肩の屈曲・伸展反復運動(以下,ディップ運動)がセルフエクササイズとして行われている.短時間で安全に肩関節の可動域を改善し,結帯動作を改善することができれば,有効な治療法となる可能性があるが,効果に関しては不明な点が多い.本研究の目的は,機器を用いた短時間のディップ運動が肩関節の可動域と結帯動作に及ぼす影響について検証することである.【方法】対象は,肩に整形外科的疾患を有さない健常成人20名40肩[平均年齢:33(21-50)歳,男性:11名,女性:9名]とした.運動に使用した機器は,Hogrel ディッピングミニ(是吉興業株式会社製)である.運動は,機器のシートに着座した状態で,肩のディップ運動を行わせた.運動時の上肢の肢位は2種類とし,肩伸展・肘屈曲・前腕回内位と肩外転・肘屈曲・前腕回内位とした.運動の速さと回数は,対象者自身のタイミングでリズミカルに20回ずつ行うように指示した.本研究における運動時間は,約3分程度であった.運動前後に,肩関節自動挙上角度,第7頸椎棘突起から母指先端までの距離(以下,指椎間距離)を測定した.指椎間距離は結帯動作の指標として用いた.また,上肢下垂位と挙上時における肩甲棘と上腕骨長軸のなす角度(spino-humeral angle:以下,SHA)を測定し,上肢下垂位と挙上時の値の差によって,肩甲上腕関節の可動範囲を評価した.肩関節自動挙上角度とSHAの測定はゴニオメーターを用い,指椎間距離の測定にはメジャーを用いた.さらに,運動後の肩の上がりやすさに関する主観的感覚について,「上がりやすくなった」,「変わらない」,「上がりにくくなった」の3件法のアンケートを実施した.統計学的処理はSPSSを用い,運動前後の比較には対応のあるt検定を行った.有意水準は危険率5%未満とした.【倫理的配慮、説明と同意】対象者には事前に研究の目的や手順を十分に説明し,口頭にて同意を得た.また,本研究は所属する職場の倫理委員会の承認を得て実施した.【結果】肩関節自動挙上角度は運動前157.8±8.3°,運動後161.4±7.5°で,運動後に有意に拡大した(p<0.05).指椎間距離は運動前137.4±51.5mm,運動後125.6±48.0mmで,運動後に有意に短縮した(p<0.05).SHAは運動前108.9±13.4°,運動後109.8±12.1°で,運動前後で有意な差はなかった。アンケートは,「上げやすくなった」(10/20名),「変わらない」(10/20名)という回答が得られ,「上げにくくなった」という回答は無かった.【考察】本研究の結果より,ディップ運動後に肩関節自動挙上角度は拡大し,指椎間距離は短縮することが明らかとなった.一方,SHAは運動前後で変化しなかった.これらのことから,ディップ運動は肩関節の可動域を拡大させるが,肩甲上腕関節(glenohumeral joint:以下,GHj)よりも肩甲胸郭関節(scapulothoracic joint:以下,STj)の動きに作用することが示唆された.ディップ運動によりSTjの可動域が拡大した機序として,広背筋,僧帽筋,前鋸筋の反復収縮と相反神経抑制によって肩甲骨周囲筋の柔軟性の向上が引き起こされたことによると考えられる.結帯動作の獲得にはGHjの可動域だけではなくSTjの運動が重要であるため,ディップ運動によるSTjの可動域拡大により,指椎間距離の短縮が得られたものと考えられる.さらに,対象者の半数で自覚的な改善度も得られることが明らかとなった.このことは,本研究の運動がセルフエクササイズに重要な自己効力感を高め,モチベーションの維持に繋がる可能性が示唆された.今後,各筋の柔軟性の変化や効果の持続時間については,さらなる検討が必要であると考えられる.【理学療法学研究としての意義】肩のディップ運動は,肩甲上腕関節より肩甲胸郭関節の可動域を拡大し,結帯動作の改善に繋がることが示唆された.このことから,肩甲胸郭関節の可動域制限がある場合に有効な治療法となる可能性を見出したことに意義があると考えられる.