抄録
【はじめに】Mendelson症候群は,胃内容物の嘔吐に伴う誤嚥による急性の化学性肺炎であり,胃液の気道内への吸引後に急激に発症する.発熱や著明な低酸素血症を呈し,消化酵素による肺組織障害により間質性変化を伴う重症肺炎を生じる稀な疾患である.重篤な合併症として急性呼吸窮迫症候群(acute respiratory distress syndrome:以下,ARDS)に陥ることが多いとされている.ARDSの治療の一環として,理学療法が行われた報告は散見されるが,系統的な方法が確立されているとは言い難い.また,Mendelson症候群に対する理学療法についての報告は,我々が知る限り見当たらない.そこで今回,腸閉塞を契機としMendelson症候群を発症しARDSを呈した症例を経験したので報告する.【症例紹介】症例は,80歳代後半の男性.主訴は,血中酸素飽和度(以下, SPO2)低下,血圧低下であった.既往歴は,小脳出血,高血圧,心房細動,閉塞性動脈硬化症(左大腿切断).入院前ADLは,施設入所され,ADL全介助レベルであった.来院前日の夕方より熱発し,解熱剤と抗菌薬を投与されたが,夕食を摂取した後より腹部膨満感が出現した.その後,浣腸と摘便で少量の排便を認め,その際左下腹部に圧痛点を認めた.来院当日3時頃,施設職員が巡回した際に,呼吸促拍を認めバイタルを測定したところ収縮期血圧:80mmHg台,SPO2:70~80%台となっていたため,救急要請となった.【倫理的配慮、説明と同意】発表にあたり,ヘルシンキ宣言に基づき,当院規定の倫理委員会の承認を得た.また,患者の家族に発表の主旨を説明し同意を得た.【経過】来院時の意識レベルはJapan Coma Scale(以下,JCS):1桁であり,従命可能であった.CT検査にて胃・腸管に多量の内容物を認め,腸閉塞の診断でマーゲンチューブを挿入し吸引を行った.その後,嘔吐し胃内容物の誤嚥を認め呼吸状態が悪化したため,気管挿管し従圧式強制換気(PC )の補助/調節換気(A/C)にて人工呼吸器管理を行った.しかし,意識レベルがJCS:3桁となり,P/F比:68に低下したため,開放換気(以下,APRV)に変更し,P/F比:260まで改善を認めた.第4病日より,体位管理を中心とした理学療法を開始.Richmond Agitation Sedation Scale (以下,RASS):-4,Acute Physiology And Chronic Health Evaluation(以下,APACHE) 2 score:29点(推定死亡率67%)であり,APRVで管理中であった.両側肺上,下葉背側に陰影を認め,胸水が貯留していた.左下肺野の多数の枝が虚脱閉塞している状態であった.第11病日より,P/F比:97と呼吸状態が悪化し理学療法が中止となる.第17病日に理学療法を再開.第27病日より,腹臥位での体位呼吸理学療法を開始.第29病日に一般病棟へ転棟.第32病日より,端座位を開始.第51病日に人工呼吸器離脱となる.【考察】Mendelson症候群とはPH2.4以下の胃液を肺内に大量に吸入することにより起こり,高率にARDSに進展する予後不良な疾患である.ARDSに対して呼吸器学会ARDSガイドラインにて有効性が示された治療法は低容量換気による呼吸管理法のみであり,基礎疾患ごとに層別化した治療法が求められる.症例は,高齢かつAPACHE 2 score :29点,P/F比:68と予後不良であると考えられた.また,症例のように肺内性ARDSでは,人工呼吸器の装着期間の長期化が予測されるため,可及的早期に虚脱領域の開通・肺胞の安定性を獲得し酸素化を維持することが必要である.CT所見,ブロンコファイバーにて,両側下側肺の肺胞の虚脱を認めたことから,早期より他職種とのカンファレンスを行いながら,体位呼吸療法を開始した.腹臥位での体位呼吸療法が,ARDSの生命予後を改善するという報告はなされていないが,約60%の患者で酸素化が改善するといわれており,症例においても酸素化の改善を図ることに繋がった可能性がある.可及的早期からの理学療法の介入は,背側のConsolidationや無気肺の予防・改善に繋がり,長期的な生命予後にも影響し得ると考える.症例では,体位呼吸療法により酸素化の改善・排痰を誘発することで呼吸状態の安定化を図ることができ,人工呼吸器離脱を行うことができた.【理学療法学研究としての意義】ARDSに対する理学療法の有用性については賛否両論であるが,早期の理学療法介入により,良好な結果が得られる可能性が示唆される症例であった.症例のような重症例の報告が蓄積されることが,急性期理学療法のエビデンスの構築の一助になると考える.