抄録
【はじめに、目的】運動開始時において,運動負荷強度に相応なATP供給は,骨格筋のミトコンドリアにおける酸化的リン酸化過程から得られるATPだけでは賄えきれない。酸化的リン酸化過程から得られるATPだけで需要量のATPを賄うためには,2 分から3 分の時間を要する。この生体応答は,一定の運動負荷時における肺の酸素摂取量(V(dot)O2)の描写(第1 相から第3 相)を解析することで模擬的に再現できる。第2 相の V(dot)O2の立ち上がりの速さは,τV(dot)O2(以下,tau)と表現される。 また,tauは,酸化的リン酸化過程からのATP産生速度を反映することが報告されている。つまり,tauは,下肢骨格筋の有酸素代謝速度を反映する指標として捉えることができる。近年,tauが約25 秒以上である場合,tauを制御する因子が酸素供給系であることが報告された。つまり,その場合,心臓や肺の中枢性因子や末梢循環の機能低下により,tauが遅くなっていることを示す。tauが50 秒である対象者は,中枢性因子あるいは末梢循環が原因で下肢骨格筋の有酸素代謝速度が遅くなると判断できる。しかし,中枢性因子,末梢性因子(末梢循環)のどちらが主な原因であるかは言及できない。そこで,本研究では,中枢性因子と末梢性因子の移行帯域となるtauの秒数を明らかにすることを目的とした。【方法】対象は,若年健常男性10 名(年齢:21.0 ± 1.5 歳,BMI:21.7 ± 3.1)とした。測定項目として,自転車エルゴメータを用いたランプ負荷試験によりlimb-peak V(dot)O2,嫌気性代謝閾値(AT),一段階運動負荷試験によりtauを求めた。また,上肢エルゴメータを用いたランプ負荷試験によりarm-peak V(dot)O2を求め,4 週間の上肢エルゴメータトレーニング後にtau,arm-peak V(dot)O2を再評価した。上肢エルゴメータトレーニングは,中枢性因子を改善させる目的で実施した。トレーニングにより,tauが加速する者を中枢性因子群,加速しない者を末梢性因子群と定義した。tauの測定プロトコルは,5 分間の安静後,20Watt,60rpmにて6 分間のウォーミングアップを行い,その後,ATの80-90%負荷強度にて,6 分間の一段階運動負荷試験を行った。tauは,表計算ソフトMicrosoft Office Excelを用い,非線形回帰にて算出した。一段階運動負荷試験は計4 回行い,tauの平均時間を算出した。上肢エルゴメータのランプ負荷は1 分間に5Wattずつ増加するよう設定し,ペダルの回転数は50rpmとした。上肢エルゴメータトレーニングは,arm-peak V(dot)O2における最高負荷量(Watt)の70-80%の負荷量をトレーニング強度に設定し,5 分運動・1 分休憩を5 回繰り返すプロトコルを週3 回,4 週間実施した。統計学的検討には,上肢エルゴメータトレーニング前後における各指標の平均値の差の検定に対応のあるt検定を用いた。なお,有意水準は,危険率5%未満とした。【倫理的配慮、説明と同意】本研究は,聖隷クリストファー大学の倫理委員会の承認のもと,対象者に研究内容や起こり得るリスクを十分に説明し,書面にて同意を得て実施した。【結果】中枢性因子群は7 人,末梢性因子群は3 人であった。上肢エルゴメータトレーニング前後において,中枢性因子群のtau は有意に加速した(pre:40.1 ± 2.5 秒,post:30.6 ± 2.4 秒,p<0.05)。一方,末梢性因子群のtauは,加速する傾向を示さなかった(pre:26.5 ± 4.4 秒,post:29.2 ± 4.6 秒)。また,すべての対象者において,arm-peak V(dot)O2は改善し,トレーニング前後において有意な改善が認められた(pre:24.1 ± 2.5ml/kg/min,post:29.1 ± 3.7ml/kg/min)。【考察】上肢エルゴメータトレーニングにより,すべての対象者において中枢性因子(arm-peak V(dot)O2)は向上したが,tauが加速した中枢性因子群,tauが加速する傾向を示さなかった末梢性因子群の2 群に分けられた。その2 群の移行帯域となるtauの秒数は,40.1 秒から26.5 秒であると考えられる。また,その移行帯域に中枢性因子と末梢性因子のカットオフポイントとなるtauの秒数が存在することが推測される。【理学療法学研究としての意義】tauの制御因子として挙げられている中枢性因子と末梢性因子のカットオフポイントとなるtauの秒数が明確になれば,対象者の下肢骨格筋の有酸素代謝速度を遅延させる原因が判別でき,対象者に適したトレーニング方法(中枢性因子にアプローチするのか,あるいは末梢性因子にアプローチするのか)を考察することができる。本研究は,そのカットオフポイントが存在する帯域を示した点で,意義があると考えられる。