抄録
【はじめに、目的】高齢者の転倒予防において,様々な検討がなされているが,隙間通過など環境に合わせた歩行について検討しているものは少ない.そこで今回,一般に日常生活場面でみられる荷物を持ったまま,狭い隙間を通過する課題について検討した.本研究では,一般的な転倒予防評価に加え,隙間距離見積もり能力と棒を把持しての隙間通過を含む5m最速歩行(以下,5m隙間通過歩行)を測定した.本研究の目的は,隙間を通過するという行為を通じて,高齢者の環境適応能力の一端を明らかとし,日常生活における転倒予防へとつなげることである.【方法】対象は,健常者60 名(平均年齢36.7 ± 14.6 歳),健常高齢者18 名(平均年齢75.1 ± 6.5 歳)である.研究方法は,一般的転倒評価としてTimed up & go test(以下,TUG),開眼片足立ち保持時間,5m最速歩行時間を測定した他,隙間距離見積もり能力の評価として,5.5m離れた場所に設置した2 本のポールの幅(日本人成人男性の平均肩幅45.0cmを基準とし,平均肩幅の1 倍,1.5 倍,2 倍,2.5 倍の幅を用いた)の見積もり課題を行った.なお見積もり課題は,5.5m離れたところにあるポール間の隙間幅について視覚的に確認したまま棒上において他動的に動かされるマーカーで隙間幅の長さを再現させる課題(以下,視覚見積もり課題),同様に視覚的に見積もりした隙間幅を自分の上肢が見えないようにボードを用いて隠した状態で手掌間距離を用い再現する課題(以下,運動見積もり課題)とした.それぞれの見積もり課題は, 2 試行ずつランダムに立位にて実施した.また,棒(長さ90cm, 直径3.6cm)を全長の中央部にて下から把持したまま歩行路中央(歩行路5m,前後に予備路3m)にある2 つのポールの隙間(隙間幅90cm)を最速で通過する5m隙間通過歩行を実施し,歩行時間と隙間通過動作,ポールへの接触の有無を測定した.また,隙間を通過する際にポールへの接触を回避する場合には棒だけ動かさず,体幹を回旋して回避するように指示した.なお,統計処理は,Mann-Whitney U-testとSpearman’s correlation を使用し,有意水準を5%未満とした.【倫理的配慮、説明と同意】本研究は,ヘルシンキ宣言(2006)を遵守し,対象者の人権に配慮し行った.また対象者に本研究の目的,方法について十分な説明を行い,同意を得た上で研究を行った.本研究で得た個人情報は,個人情報の保護に関する法律に基づき管理・保護している.【結果】TUG,開眼片足立ち,5m歩行時間,5m隙間通過歩行の測定項目において,健常者と健常高齢者の間で有意差が認められた(p<0.05).また,隙間見積もり能力評価では視覚見積もり課題,運動見積もり課題ともに健常者と健常高齢者の間に有意差は認められなかった.ポールの接触の有無に着目するとポール接触群と非接触群では視覚見積もり課題、運動見積もり課題の間に両群ともに相関が認められ(接触群r=.604,非接触群r=.421),非接触群のみ運動見積もり課題のほうが視覚見積もり課題より有意に誤差率が低かった(p<0.01).接触した者は健常高齢者4 名,健常者9 名であった.また,接触には2 つのパターンがあり,体幹回旋方向が左の場合に右側のポールと接触するパターン(以下,Turn type)と体幹回旋を戻す際に左側のポールと接触するパターン(以下,Return type)がみられた。Turn typeは,健常高齢者3 名のみで、健常者は0 名であった.Return typeは,健常高齢者1 名,健常者9 名であった.【考察】隙間を接触なく通過するためには,遠くの空間にある視覚情報を適切に判断することや環境に合わせた行動を選択することが求められる.隙間見積もり能力においては,ポール非接触群にて運動見積もり課題が視覚見積もり課題と比較して有意に誤差率が低かったことから, 視覚見積もり能力よりも視覚情報を運動感覚に変換する能力が通過時の接触を回避するために必要だと考える.また,ポールへの接触の際,健常高齢者のみがTurn typeでポールと接触していることから,健常高齢者は物を持って隙間を通過する際に,健常者と行動選択が異なる可能性を示している.本研究の結果から,5m隙間通過歩行を用いることで,歩行における運動見積もり能力と環境に適応した行動選択能力を評価できると考えられる.【理学療法学研究としての意義】樋口(2008)らによると,障害物の回避動作は,障害物や周囲の状況に対応してコントロールされており,歩行中においても空間と身体との関係が正しく表象されていることを示唆すると述べている.今後,高齢者の環境適応能力について詳細に研究をすすめていくことが,日常生活における転倒の原因の一部を明らかとし,転倒予防を目的とした理学療法の一助となると考える.