抄録
【はじめに】手指における道具の把握,操作といった行為の成立において,体性感覚は重要となる.その中でも,対象物への探索に伴い,皮膚からの触覚と,手指の位置や動きに関する関節や筋からの深部感覚が統合されることで,操作に先行した対象物の形状認識や,手指の運動調整に関与している(岩村 2007)と考えられている.機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いた研究において,手指の自動運動を伴う触覚識別の有無により,頭頂連合野の活動に違いを認めたこと(Kawashima R 2001)など,識別の有無による脳活動の違いが明らかにされている.また,経頭蓋磁気刺激装置(TMS)を用いた研究において,他動運動を伴う深部感覚の識別が,一次運動野(M1)の興奮性の増加を認めたこと(E Lackner 2003)など,体性感覚による識別の重要性を示唆する報告は多い.しかし,対象物の形状識別が,M1 の興奮性に及ぼす変化についての報告は少ない.本研究では,健常成人において,対象物の形状識別の有無がM1 の神経活動動態に及ぼす変化について,TMSを用いて検討した.【方法】対象は,健常成人9 名(男性3 名,女性6 名,年齢25.7 ± 3.6 歳)とした.被験者は椅子座位で,両上肢は正面に設置したテーブル上に前腕回内位,手指軽度屈曲位とし,安静を保持するように指示した.課題は,形状が異なる4 種類の対象物を使用し,各課題前に被験者に提示した上で記憶するように指示した.その後,検者が被験者の右第3 指を他動的に動かして,形状に触れさせた.課題1 は,形状を1 種類のみ触れさせた.課題2 は,形状が異なる4 種類の対象物からランダムに検者が選択し,被験者にどの形状を触れたか識別させることを要求した.課題中は,被験者から右手が見えないように台を設置して実施した.TMSは,各課題において磁気刺激装置(日本光電;SMN-1200)と8 の字平型コイルを用い,運動誘発電位(MEP)は,誘発電位・筋電図検査装置(日本光電;Neuropack MEB-9400)にて,右第1 背側骨間筋から記録した.対象物に触れさせ,他動運動開始から約2 秒後に左M1 の手指領域の直上を刺激した.被験者のMRI画像より脳表3 次元画像を作成し,光学系ナビゲーションシステム(Rouge Resarch Inc;Brainsight2)を用いて,解剖学的に正確に刺激部位を決定して実施した.刺激強度は,安静時運動閾値の110%とし,安静時及び各課題中のMEPを10 〜15 回ずつ測定し,MEPの振幅値をもとに安静時に対する各課題中のMEP振幅比を算出した.統計学的処理は,各課題におけるMEP振幅比の値を,対応のあるt検定を用いて比較し,危険率5%の有意水準で実施した.【倫理的配慮、説明と同意】本研究は,村田病院臨床研究倫理審査委員会の承認を得て,被験者に十分な説明を実施し,同意書にて同意の得られた被験者に実験を行った.【結果】MEP振幅比は,課題1;3.4 ± 1.4 であり,課題2;5.3 ± 2.4 であった.課題2 におけるMEP振幅比は,課題1 に比較して有意に高い値を示した(P<0.05).【考察】課題1 に比較して,課題2 においてMEP振幅比は有意に高い値を示した.健常成人と皮質下脳損傷患者の手指を対象としたfMRIを用いた研究では,形状識別を求めない他動運動に比べて,他動運動を伴う形状識別において,運動前野,補足運動野,頭頂連合野といった運動関連領野が活性化すること(Van de Winckel A 2012)が報告されている.M1 は,こうした運動関連領野と神経連絡が認められていることからも,手指で形状に触れさせるのみの課題1 よりも,識別を伴う課題2 において,運動関連領野の活性化を含めた,左M1 の神経活動動態の興奮性を増加させたことが示唆された.また,形状といった,触覚と深部感覚に基づく空間的特徴の識別が,M1 の神経活動動態の興奮性の増加に重要であることが示唆された.【理学療法学研究としての意義】健常成人を対象として,体性感覚による形状識別に際したM1 の神経活動動態の変化を検討した.本研究の意義として,単なる体性感覚刺激の入力よりも,体性感覚に基づく形状識別がM1 の神経活動動態の興奮性の増加に重要であり,今後,中枢神経疾患におけるM1 の神経活動動態を検討する上で基礎的な指標となる.