抄録
【目的】 わが国では2型糖尿病患者に脂肪細胞のインスリン感受性を標的としたチアゾリジン誘導体が広く用いられてきたが、2010年以降DPP-4 酵素の阻害作用を持つシタグリプチン(SPH)の製剤が実用化され処方されるようになった。同剤は活性型インクレチン濃度を上昇させ、血糖依存的にインスリン分泌促進作用並びにグルカゴン濃度低下作用を増強し血糖コントロールを改善すると考えられている。 SPHを服用しても2型糖尿病患者(T2DM)が通常の食事量を超えると、血糖降下作用が落ち、インスリンが腎に作用し、血圧上昇を来すことが報告されている。また、糖質制限によるタンパク質の摂取量の増大は、血糖コントロールの正常化に対し、腎障害を引き起こす可能性が指摘されている。SPH使用下で糖質制限を実施する患者の運動療法の及ぼす腎機能への影響の観点から詳細な事例検討をした報告は少ない。 本研究の目的は脂肪分解および糖質代謝異常と関連するADRB3遺伝子(β3アドレナリンレセプター)の異型性のない発症10年のT2DM患者で、1年にわたりABABデザインによる糖質制限およびSPH併用下における二つの異なる運動強度が及ぼすクレアチンおよびHbA1Cへの影響を検討することであった。【方法】 研究内容を説明し、同意の得られたT2DM患者で、合併症は来していないが、研究開始前2年間のHbA1Cが8.3%(以下全てNGSP)を示した、ADRB3遺伝子(β3アドレナリンレセプター)の異型性のないことを確認した40代男性1ケースを対象とした。 方法は、シングルケースにおけるABA’B’デザインにより実施した。2011年11月より研究機関で実施し、2012年10月で終了した。身体活動量を一定にして、運動強度のみを変化させたAとB、A’とB‘間の比較を行った。A:3ヶ月間、SPH投与下での糖質制限と低強度運動 B:3ヶ月間、SPH投与下での糖質制限と低強度運動と中等度運動.測定項目と頻度は、隔日毎に、Yamax社製加速度計による歩数計測(身体活動量:PA)、女子栄養大式食品交換表に基づく食事摂取カロリー測定、ウリエース(テルモヘルスケア社)による尿糖および尿たんぱくの定性的検査を行なわせた。6か月に一度クレアチンおよびHbA1Cを測定した。ADRB3遺伝子は日本遺伝子検査株式会社において検査した。 エンドポイントは、有害事象の発生、血糖コントロール、腎症の悪化が出現したら打ち切り、その条件下の治療を再検討することとした。分析は、ABA’B’間の各90日間のPA、摂取カロリー量、BG、UGの平均値についてSPSSver16(IBM社)を用いて、一元配置分散分析およびBonferroni法による多重比較を行った。【倫理的配慮、説明と同意】 本研究実施にあたり、研究の目的、内容についてヘルシンキ宣言に基づく説明を行い、書面で同意を得た。【結果】 ABA’B’間の歩数は各セッション間で有意差を認めた(p<0.05)。期間AではSPHおよび摂取カロリー量1600kcalを保ち、糖質制限と歩行を主とする低強度運動療法を毎日1時間(3MET時相当)実施するプログラムの開始後12日後、尿糖が介入開始時500mg/dl相当からl50mg/dl未満(未検出)となった。尿蛋白は250mg/dl相当から、15mg/dl 未満(未検出)になった。期間Bでは階段昇降を主とする中等度運動療法(4.5時相当)を実施したところHbA1Cは8.3%から6.1%となった。さらに期間A’において低等度強度運動実施中、クレアチンは1.2を示し, HbA1Cは5.2%と正常化したが、中等度運動療法を実施した期間B’ではHbA1Cは5.7%と正常範囲に保たれたが、クレアチンは1.34と上昇したため、運動療法を低強度に設定し直し、たんぱく質の制限及びカリウム制限を開始するに至った。【考察】 糖質の過剰摂取が恒常的に続き、脂肪細胞内における糖分解によって防ぎきれない場合、肝でのストックおよび血中への糖放出が生じることで血糖上昇が生じるが、本ケースにおいてSPH投与下で糖質の摂取量を減じ、血糖依存のインスリン過剰分泌を免れたが、運動強度が低強度よりも中等度では、運動後の空腹感が高まり、それを補うためにタンパク質の過剰摂取が生じた可能性が高い。このようなケースでは低強度運療法が検討されるべきであろう。【理学療法学研究としての意義】 2型糖尿病患者における薬物療法と併用した安全な運動強度に関する適応の根拠となる研究は少なく、この知見は大規模RCT研究のプロトコールの安全性を検討する上で役立つ。