抄録
【はじめに、目的】高齢者や外科手術後,呼吸器疾患患者における咳嗽力は,喀痰喀出の能力として,生命に関わる非常に重要な能力である.咳嗽に関わる要因は,肺活量,呼吸筋力,気道抵抗,声帯機能などとされているが,それらがどのように関わり合い最終的な咳嗽能力を決めているかは明らかでない.本研究の目的は,それら要因を用いて咳嗽モデルを作成し,咳嗽時の流量波形をシミュレーションすることを目的とする.【方法】気道内の気流は,空気の流れであるため,生理学でも電気回路に例えられ,気道の圧力差=気流×気道抵抗(インピーダンス)という電気分野のオームの法則が用いられている.また気道インピーダンスは,いわゆる気道抵抗と肺・胸郭のコンプライアンスおよび気流の変化に抵抗するイナータンスに分けられ,これらは,電気回路の抵抗(R),コンデンサ(キャパシタンス:C),コイル(インダクタンス:L)で表される.しかし,強制呼出時や咳嗽時は,気道内圧よりも胸腔内圧が高くなり気道が狭窄する現象(動的気道狭窄)が起こるため,安静呼吸のようにそのままには成立しない.この場合,気道内圧と胸腔内圧が等しくなる点(equal pressure point: EPP)よりも上流(肺胞側)に注目し,コンデンサの放電モデルで表すことが可能である.今回は,このEPPよりも上流の抵抗(Rus)を用いてシミュレーションした.咳嗽シミュレーションモデル:咳嗽時のEPPは,圧縮期は声帯が閉じているため声帯に位置しており,呼出期にはEPPは第6分岐部辺りに移動するとされ,第6分岐部よりも上流部分は,全気道抵抗の約20%に当たるとしている.そこでRusを圧縮期は無限大,呼出期は声帯の開大に合わせて指数関数的に抵抗が低下し,全気道抵抗の20%に収束するモデルを作成した.一般的にイナータンスの影響は少ないとされるため,RC回路用いてMicrosoft Excelにてシミュレーションした.また,気道抵抗,肺コンプライアンスは,肺生理学のテキストの値を用い,呼出量は実測値を使用した.咳嗽時流量の実測値の測定:健常者1名の咳嗽時の流量を測定した.咳嗽時の流量データはフローヘッドからフロートランスデューサー(ML311 Spirometer Pod)およびA/Dコンバータ(Power Lab16/35, ModelPL3516: ADInstruments)を介して1000Hzのサンプリング周波数でパーソナルコンピュータに取り込んだ.解析方法:実測値とシミュレーションの流量波形の比較を視覚的に行った.またRusの時定数,肺コンプライアンスの値を変化させて,流量波形の変化を視覚的に検討した.【倫理的配慮、説明と同意】本研究は,ヘルシンキ宣言に基づいて被験者に本研究内容および危険性などについて説明し,同意を得てから実施した.また事前に本学研究倫理委員会の承認を得た.【結果】シミュレーションにより,実測の咳嗽流量波形にかなり近い波形が再現できた.しかし,咳嗽直後の流量のオーバーシュート現象や細かな変動までは再現できなかった.シミュレーションモデルで,Rusの時定数を増加させると,流量の立ち上がりは遅れ,最高流量(peak flow)は低下し,気流の排出時間は遅延した.また肺コンプライアンスが増加すると,同様に流量の立ち上がりの遅延,peak flowの低下,排出時間の遅延が生じた.【考察】今回は簡単なRC回路のRusの可変抵抗モデルで咳嗽の流量シミュレーションを試み,比較的良好に再現できた.細かな違いは,肺コンプライアンス,EPPおよび全気道抵抗は,肺容量で変化することや,イナータンスの影響を無視している点などが考えられる.これらは,肺容量の関数で表現したり,イナータンスを組み入れたシミュレーションを検討すべきと考える.また本モデルは胸腔内圧を要因に入れていないため,今後実際に測定し,Rusとの関連を組み入れる必要がある.今回用いた指標であるRusの時定数は,主に声帯の開大速度を反映していると考えられ,声帯機能も咳嗽時の流量に大きく影響することがシミュレーションでも確認できた.また,肺コンプライアンスが高いCOPDなどは,peak flowが低く,気流が遅延することもシミュレーション可能であった.【理学療法学研究としての意義】咳嗽時の流量に関わる各要因の関係性が明らかになる事により,疾患毎,個人毎の咳嗽力低下の原因を判定することが可能となると考える.また,治療方法の選択や治療効果の判定にも利用できる可能性が期待できる.