臨床神経学
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症例報告
胸骨正中切開術後の血腫による圧迫で腕神経叢下神経幹障害を生じた1例
木村 正夢嶺吉村 元幸原 伸夫
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2020 年 60 巻 11 号 p. 758-761

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要旨

症例は81歳女性.胸骨正中切開で心臓手術を受けた翌日から,左上肢の遠位筋筋力低下と前腕から左手尺側にしびれ感が出現した.神経伝導検査で尺骨神経の運動・感覚神経,及び橈骨神経,内側前腕皮神経の感覚神経で振幅低下を認め,腕神経叢下神経幹障害と推定した.CTで左第一肋骨骨折を認め,MRIで骨折周囲の下神経幹部に血腫を同定し,short T1 inversion recovery(STIR)撮像法では血腫近位部の腕神経叢C8根部に信号変化を認めた.以上から,血腫の圧迫による下神経幹障害と判断した.本例は胸骨正中切開術後に典型的とされる腕神経叢C8根部障害ではなく下神経幹障害と診断した症例であり,MRIで下神経幹近傍に障害の原因となる血腫を同定できた.

Abstract

We present the case of an 81-year-old woman who underwent aortic valve replacement and coronary artery bypass surgery by median sternotomy. Following the operation, she experienced distal muscle weakness in her left upper limb and numbness in the medial part of her left forearm and palm. Nerve conduction study revealed low amplitudes of her left ulnar compound muscle action potential (CMAP) and sensory nerve action potential (SNAP), radial CMAP, and medial antebrachial cutaneous SNAP. Needle electromyography showed denervation potentials in the extensor digitorum communis and abductor pollicis brevis. CT and MRI showed a left first rib fracture and a hematoma nearby. Short-T1 inversion recovery image (STIR) showed a high-intensity area in the left root of C8. Based on these findings, we diagnosed the patient with lower trunk brachial plexopathy due to hematoma.

はじめに

胸骨正中切開術後の腕神経叢障害はこれまでにも報告があり,主に術中の開胸機操作による牽引や,第一肋骨骨折による圧迫などが原因とされている12.これまでの電気生理学的検討では,障害の局在は腕神経叢C8根部が主体とされており3)~5,画像検査に関してはMRIでC8根部の信号変化を描出した例が1例報告されている6.今回われわれは,胸骨正中切開術後に左上肢の筋力低下,感覚障害を生じ,身体診察と電気生理学的検査で腕神経叢下神経幹の障害と考え,MRIで腕神経叢C8根部の信号変化と,障害の原因と考えられる血腫を同定した症例を経験したので報告する.

症例

症例:81歳,女性

主訴:左上肢の筋力低下,しびれ感

既往歴:右内頸動脈狭窄症(頸動脈内膜剝離術後),腰部脊柱管狭窄症,高血圧,脂質異常症.

内服歴:クロピドグレル25 mg,アスピリン100 mg(抗血小板薬2剤は術前5日前から中止),ロスバスタチン2.5 mg,アムロジピン5 mg.

家族歴:特記事項なし.

現病歴:2018年5月に経胸壁心臓超音波検査で重症大動脈弁狭窄症,心臓CTで冠動脈病変を指摘された.7月に当院の心臓血管外科で大動脈弁置換術,及び冠動脈バイパス術を施行された.手術は胸骨正中切開で開胸され,最初にグラフト採取を行なった.グラフトは左内胸動脈から採取されたが,血管剝離の際には左開胸となった.バイパス術を施行した後,大動脈弁置換術を行ない,手術は合併症なく終了した.手術時間は8時間52分であった.麻酔から覚醒した術翌日から左上肢の筋力低下,しびれ感があり,症状が持続したため術後12日目に脳神経内科に紹介された.

初診時現症:胸部正中に開胸時の手術痕を認めた他は一般身体所見に特記事項なし.意識清明.脳神経系に異常なし.左上肢筋の徒手筋力テスト(MMT)は,三角筋,上腕二頭筋,上腕三頭筋,橈側手根伸筋はMMT5で筋力低下はなく,橈側手根屈筋,第一背側骨間筋,深指屈筋(第4指,第5指),指伸筋でMMT4の筋力低下をみとめ,尺側手根伸筋,短母指外転筋,深指屈筋(第2指,第3指)ではMMT2~3レベルの筋力低下をみとめた.両上肢に明らかな筋萎縮はなし.上肢腱反射は左右差なく正常であった.感覚は左前腕尺側と左手尺側にしびれ感をみとめ,環指の橈側,尺側での差はなかった.また,左手掌全体にもしびれ感をみとめた.下肢の筋力低下,感覚障害はみとめなかった.以上より,左C8,Th1レベルの障害が疑われたが,手掌全体のしびれ感は非典型的であった.

一般検査所見:血算,血液生化学検査,尿所見に特記すべき異常所見はみとめなかった.

電気生理学的検査(Table 1):

Table 1  Nerve conduction study findings.
DL (msec) CMAP (mV) MCV (m/s) SNAP (μV) SCV (m/s)
Medan nerve L 5.04 2.8 47 19.9 44
R 7.11 3.4 52 10.8 37
Ulnar nerve L 3.72 4.1 51 18.7 51
R 2.85 11.0 59 40.0 60
Radial nerve L 2.52 1.9 51 34.3 67
R 2.46 3.5 55 28.4 63
MAC L NE NE
R 17.0 36

CMAP: compound muscle action potential, DL: distal latency, MAC: medial antebrachial cutaneous nerve, MCV: motor nerve conduction velocity, NE: not evoked, SNAP: sensory nerve action potential, SCV: sensory nerve conduction velocity

術後18日目に正中,尺骨,橈骨神経の運動神経伝導検査(motor nerve conduction study,以下MCSと略記)及び逆行法での感覚神経伝導検査(sensory nerve conduction study,以下SCSと略記)を施行した.尺骨神経では左側でcompound muscle action potential(CMAP),sensory nerve action potential(SNAP)とも右側の50%以下となる振幅の低下をみとめた.F波は両側で導出頻度,最短潜時とも正常であった.左尺骨神経の肘上−肘下間でmotor nerve conduction velocity(MCV),sensory nerve conduction velocity(SCV)の低下はみとめなかった.正中神経では両側とも遠位潜時が延長しCMAPの振幅が低下し,F波は消失しており,ring-finger testにて左側で尺骨神経と比較して1.28 msecの潜時の遅延を,右正中神経でも2.26 msecの遅延をみとめたことから,両側に手根管症候群を合併していると考えられた.橈骨神経のCMAP振幅は右に比べて左は50%程度であった.肘関節部で内側前腕皮神経(medial antebrachial cutaneous nerve,以下MACと略記)を刺激し,前腕内側で記録したSCSでは,SNAPは右側は導出されるも,左側は導出されなかった.術後20日目に施行した針筋電図では,指伸筋,及び短母指外転筋で少量のfibrillation potentialみとめたが,上腕三頭筋,第一背側骨間筋ではみとめなかった.以上より,電気生理学的所見にはC8およびTh1レベルの障害に加えて,手根管症候群も存在することが明らかとなった.

画像検査(Fig. 1):術後の胸部CTで第一肋骨から第五肋骨まで骨折線をみとめたが,第一肋骨の上方偏位を含めあきらかな骨幹の偏位はみとめなかった.頭部単純MRIでは頭蓋内に特記すべき異常はなかった.頸椎MRIでは頸椎と頸髄に異常はみとめなかったが,T1,T2強調画像で第一肋骨骨折部から頭側に広がる低信号領域をみとめ,亜急性期の血腫と考えられた.また,short T1 inversion recovery(STIR)撮像法において,腕神経叢C8根部に信号変化をみとめ,血腫はその遠位の下神経幹付近に存在した.以上から,左上肢の筋力低下,感覚障害は,血腫の圧迫による腕神経叢下神経幹障害が原因であると判断した.

Fig. 1 CT, MRI findings.

(A) CT image showing a left first rib fracture. (B) T1-weighted image and (C) T2-weighted image showing a low-intensity lesion near the first rib fracture, indicating a hematoma. (D) Short-T1 inversion recovery (STIR) image showing a high-intensity area in the left root of C8.

その後の経過:血腫の外科的除去も検討されたが,術後19日目の時点で初診時より筋力が改善傾向であったことから保存的に経過観察する方針とした.その後筋力は緩徐に回復し,術後98日目には,左上肢の筋力は短母指外転筋にMMT4レベルの筋力低下を残す以外は全てMMT5レベルに回復した.左手の握力も退院時2 kgであったものが12 kgまで回復した.また,同日の神経伝導検査では左側の正中神経,尺骨神経,橈骨神経のCMAPの振幅は回復し,左右差をみとめなくなっていた.

考察

本症例は胸骨正中切開術後から左上肢の遠位筋筋力低下と,前腕,及び左手尺側と左手掌全体に感覚障害を生じ,神経伝導検査では尺骨神経のCMAP,SNAPとも振幅が左側で低下しており,MACのSNAPは導出されず,針筋電図ではC8由来とされる指伸筋,Th1由来とされる短母指外転筋7で脱神経所見をみとめた.画像検査ではCTで第一肋骨骨折とMRIでその近傍に血腫をみとめ,血腫は下神経幹部に位置した.以上の所見から血腫の圧迫による腕神経叢下神経幹障害と診断し,経過観察のみで自然軽快を得た.

胸骨正中切開術後腕神経叢障害については1991年にVahlらが前向きに検討しており,胸骨正中切開術施行例1,000例のうち,末梢神経障害を発症したのは27例で,内21例が下神経幹の障害であった8.近年Ferrante,Levinらの電気生理学的検討でさらに詳細な局在診断がなされており34,胸骨正中切開術後下神経幹障害例ではTh1由来とされているMACのSNAPが保たれていたことから,これらの障害は主にC8由来を局在とすると考えられている.腕神経叢障害の機序として開胸器による腕神経叢の伸展や,開胸時に骨折した第一肋骨の断端による直接的障害などが挙げられており,特にC8前枝が障害されるのは,第一肋骨の骨折が上方に偏位することによる神経の圧迫が原因であると考えられている3.したがって,胸骨正中切開術後に典型的な障害部位は,椎間孔通過部から下神経幹形成部より近位,すなわち腕神経叢C8根部5にあるとされている.予後に関しては,保存的加療で良好な機能回復が得られるとされている49

本例では左上肢で,C8主体とされる尺側手根伸筋,深指屈筋と,Th1主体とされる短母指外転筋7で特に筋力低下をみとめた.また,前腕から手掌にかけて尺側優位にしびれ感をみとめ,神経診察からはC8,Th1領域の障害が示唆された.神経伝導検査では,尺骨神経のCMAPとSNAPの振幅低下に加えて,MACのSNAPが導出されなかった.Levinらは胸骨正中切開術後の腕神経障害はC8前枝主体であるためTh1由来とされるMACが保たれることを示しているが3,本例ではC8およびTh1レベル,すなわち下神経幹の障害と推定した.また,Ferranteは腕神経叢の局在診断におけるレビューでC8由来橈骨神経支配筋の針筋電図での異常の有無は内側神経束障害と下神経幹障害の鑑別に有用としている4.本例の筋電図ではC8由来橈骨神経支配とされる指伸筋で脱神経所見をみとめたことも下神経幹の障害に矛盾しなかった.一方で,本例は下神経幹障害では説明がつかない手掌全体のしびれ感をみとめた.手根管症候群では,しびれ感は正中神経の感覚支配領域を超えて手掌全体に広がることもあるとされており10,本例における手掌全体のしびれ感は合併する手根管症候群によるものと考えた.なお,C8神経根障害と尺骨神経障害の鑑別に有用とされるMed-D4(正中神経を刺激し環指で記録したSCS)は5,本例では両手手根管症候群のため活用できなかった.さらに,C8由来とされる第一背側骨間筋では軽度の筋力低下をみとめたが,筋電図では脱神経所見がなかった.神経伝導検査でC8由来である尺骨神経CMAP,SNAPの振幅の左右差が50%弱程度であった一方で,Th1由来であるMACのSNAPが消失していたことも考慮すると,下神経幹の中で,Th1由来の神経はaxonotmesisに至っている一方で,C8由来の神経はneurapraxiaにとどまっているものが多いと考えられた.

本例は胸骨正中切開術後に典型的とされる腕神経叢C8根部よりも遠位にある下神経幹の障害と推測されたため,画像評価としてMRIを施行した.これまで胸骨正中切開術後の神経障害に関して画像的検索はあまり行われていない.MRIのT2強調画像でC8根部の高信号変化をみとめたという報告はあるが6,下神経幹障害をMRIで同定したという報告は検索しうる限りなかった.本例ではMRIのSTIR撮像法で腕神経叢C8根部に信号変化をみとめ,その遠位部である下神経幹近傍に,T1,T2強調画像で共に低信号を呈する亜急性期の血腫が同定された.下神経幹自体を同定することはできなかったが,血腫による圧迫で同神経幹が障害され,二次的な変化として腕神経叢C8根部に信号変化を生じたものと考えられた.腕神経叢障害の診断におけるMRIの有用性はこれまでにも報告があり,Luigettiらは特発性腕神経叢障害の障害部位を特定する際にT2強調画像やSTIR撮像法が有用としている11.また,Fanらは腕神経叢障害の病因診断や局在診断にMRIを用いており,外傷性引き抜き損傷や,腫瘍転移による腕神経叢障害をSTIR撮像法で診断している12.本例では神経診察と電気生理学的検査から推察された障害部位付近に血腫を確認でき,MRIが障害部位診断の補助と病因診断に有用であった.

本例ではMRIで神経障害の原因である血腫を同定しているが,血腫は第一肋骨骨折によって形成されたと考えた.肋骨骨折は胸骨正中切開術においてしばしば見られる合併症で,開胸器を使用する際に開胸幅を広くしたり,機器を頭側に設置するほど第一肋骨骨折の頻度が高くなったという報告がある1314.Baisdenらは開胸器の上刃を取り除くことで第一肋骨骨折の頻度が50%から16%まで軽減したと報告している15.またバイパス手術においては,内胸動脈剝離の際に非対称的に開胸器を使用することで,採取側での肋骨骨折や腕神経叢障害の頻度が高くなったという報告がある9.本例でもバイパス血管採取時は左開胸で左方向に牽引機を使用し,同側の多発肋骨骨折を生じた結果,骨折部に血腫を形成していた.これまで胸骨正中切開術後の神経障害において,骨折で生じた血腫が障害の原因になることを示した報告はないため過去に画像を用いた検討はされていないが,今後は障害の原因精査においてMRIを用いた積極的な検索が必要だろう.また,このような合併症を減らすためには,神経障害を生じた病態を心臓血管外科医に正しくフィードバックしてゆくことが大切と考える.

本例は胸骨正中切開術後に左上肢の筋力低下,感覚障害を発症し,神経所見,電気生理学的所見から腕神経叢下神経幹の障害を推測し,MRIでその近傍に原因と考えられる血腫を同定できた1例である.胸骨正中切開術後の下神経幹障害は稀であり,詳細な神経診察と電気生理学的評価で通常よりも遠位の障害部位を推測できたことに加えて,MRIで原因となる血腫を同定できた点が貴重と考えて報告した.

Notes

※著者全員に本論文に関連し,開示すべきCOI状態にある企業,組織,団体はいずれも有りません.

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