抄録
本研究の課題は、無地の陶磁器がもつ性質、とりわけその「利他性」について、民藝運動の中心的人物であった思想家・柳宗悦(1889-1961)の蒐集と思想を切り口に、浮かび上がらせることにある。
民藝運動や柳宗悦の思想に関する先行研究は数多く存在するが、柳の「無地の美」評価に関しては、明確に主題化されてきたとは言い難い。本研究では、柳の著作物および民藝運動同人による刊行物などの一次資料、研究論文などの二次資料を対象とした文献調査を行った。
柳が思索の対象とした蒐集品には模様や図柄のあるものの非常に多いことが指摘されているが、柳が「この世への最后の贈物」として晩年に醸成していた「仏教美学」思想を彼が説く際には、特に井戸茶碗や古丹波の灰被壺のような無紋の陶磁器が頻繁に取り上げられ、彼が提示したい「美しいもの」全体を代表するという様相が見られる。本研究ではこの点を手がかりとして、無地の陶磁器に対する柳の思索について検討していく。
まず、柳の眼には無地の器が、荒々しい土肌や窯変の発生に「こだはらない」作り手の受動性の反映として映っていたこと、それが宗教的な「無心」そのものとして了解されていたことを指摘する。また、実用性の観点からも、無地とは「他己を受け入れる」性質をもった、使いやすい造形であると柳が捉えていたことを指摘する。以上を踏まえ、柳にとって無地の陶磁器は、自然素材の偶発的な振る舞いと、食材などの様々な内容物という二重の予期せぬ他者(「他力」)を受け容れる作り手の「無心」がそのまま物の姿をとった存在であったこと、静まった心で他者に奉仕する「愛」の心境を体現する利他的存在であったことを、本研究では明らかにしている。