文化資源学
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論文
占領下のアントニン・アンド・ノエミ・レーモンド:「Japanese Household Objects」展と文化の外交
辻 泰岳
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2020 年 18 巻 p. 1-16

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抄録

本稿では建築家のアントニン・レーモンドとノエミ・レーモンドが収集した器物が展示された「Japanese Household Objects」展(1951年)を題材として、かれらが文化外交(カルチュラル・ディプロマシー)にどのような思いを介在させようとしていたのかを明らかにする。先行する成果として、たとえば2006年に開催された「Crafting a Modern World」展はジェンダー・スタディーズの観点をふまえ、アントニンだけではなくノエミの関与を含めてかれらの活動を包括的にまとめている。そこで本稿はこの成果に続き、ペンシルバニア大学のアーカイブズやMoMA Archivesに保管される資料を用いて、レーモンド夫妻の実践が占領期の社会と不可分の関係にあったことを示す。この「Japanese Household Objects」展は、ジョン・D・ロックフェラー三世とブランシェット・ロックフェラーが推進しようとしていた文化による外交をいちはやく視覚化する機会でもあった。ただしこの展覧会はノエミの打診に応じたフィリップ・ジョンソンが開催に至る準備を進めたため、自分たちの目で見た日本を紹介したいと考えていたアントニンとノエミは「日本の食卓を表していない」と不満を漏らした。他方、この会期中にはレーモンド夫妻がイサム・ノグチと共に設計を進めていたリーダーズ・ダイジェスト東京支社も竣工する。アントニンとノエミは「Japanese Household Objects」展に続き、このホールで開催された「現代日本陶磁展」にもかかわるが、要人が集まるこの展覧会もやはり、外交の渦中にあった。本稿では外交が文化を資源として扱うことでそれを規定し直す過程に着目しながら、こうした経緯を詳らかにすることによって、当時の外交が建築や絵画、彫刻、工芸といった造形の区分を再編する契機でもあったことを描く。あわせてアントニンとノエミが文化の当事者として外交に織り込もうとした思いと、それが後に及ぼした影響を考えたい。

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