本稿は言語教育における実践研究のあり方について,「人間と言語の全体性を回復する」という観点からの論考を行う。この論考を行う背景には,近年の言語教育が,近代の合理主義,資本主義的生産体制,そして言語学などが前提としている認識論に対してあまりにも無自覚的・無批判的であるあまり,人間と言語の存在と機能の一部ばかりに偏向しているのではないかという懸念がある。その偏りによる歪みを正し,人間と言語の全体性を回復することは,言語教育の目的のために必要なことであるが,それと同時に実践研究での言語使用においても私たちは人間と言語の全体性を回復しなければならないと本稿は主張する。回復のためには,「からだ・こころ・あたま」,および「外界・内界」のどの領域においてもことばが自由に使用され,かつ実践者が,学習者・(仮想)共同研究者・自らの無意識との対等な権力関係を構築するべきという論考を本稿は展開する。