言語文化教育研究
Online ISSN : 2188-9600
ISSN-L : 2188-7802
12 巻
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12巻刊行によせて
特集「実践研究の新しい地平」
趣旨
寄稿
  • 日本語教師間の対話を介した自立と協働に向けて
    塩谷 奈緒子
    2014 年 12 巻 p. 6-13
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    実践研究を行い始めて13年が経つ。現在の私にとって,実践研究とは,自分の日本語教室活動の実施・分析・記述やそれらについての他者との対話を通し,教室参加者や教室での自分のあり方を発見し直し,自分の教室活動の構造や意味,日本語教育の目的を考え直し,作り直していく絶え間ない営みである。また,それは同時に,自分はなぜそこでその実践を行うのか,自分はどのような日本語教育を行いたいのかを再考することでもあり,そのために/その結果,自分の言語・学習・教育・社会観等を再把握し,更新することでもある。更に,それは,そのような価値観や思想を持つに至った自分の背景や自分の生き方,自分自身について考え,自分の生きる視点を模索し,再構築しながら,新たな実践を作り出し,その実践を生きていく不断の営みでもある。私にとって,実践研究とは,生きることについて考える,生きる活動である。本稿では,以上のことを論じ,日本語教師の自立と協働,他者との社会作りの道を開くものとしての実践研究の可能性について考える。
  • 柳瀬 陽介
    2014 年 12 巻 p. 14-28
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    本稿は言語教育における実践研究のあり方について,「人間と言語の全体性を回復する」という観点からの論考を行う。この論考を行う背景には,近年の言語教育が,近代の合理主義,資本主義的生産体制,そして言語学などが前提としている認識論に対してあまりにも無自覚的・無批判的であるあまり,人間と言語の存在と機能の一部ばかりに偏向しているのではないかという懸念がある。その偏りによる歪みを正し,人間と言語の全体性を回復することは,言語教育の目的のために必要なことであるが,それと同時に実践研究での言語使用においても私たちは人間と言語の全体性を回復しなければならないと本稿は主張する。回復のためには,「からだ・こころ・あたま」,および「外界・内界」のどの領域においてもことばが自由に使用され,かつ実践者が,学習者・(仮想)共同研究者・自らの無意識との対等な権力関係を構築するべきという論考を本稿は展開する。
  • 「国語教育としての実践研究」というあり方
    難波 博孝
    2014 年 12 巻 p. 29-48
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    授業の目標は,価値目標・技能目標・態度目標という系列で考えることができる。言語教育も国語教育も同じように考えることができる。ただし,国語教育の場合は,国語科以外の教育(生活の中での学びなど)に身につけたことを一旦脱ぐ(unlearn)ような国語科授業を考える必要がある。実践研究も,その教師が身につけた教育観を一旦脱ぐような研究が求められる。これらの一例として,ある公立小学校教員の実践とそれへの関わりを紹介した。ここでは,ある児童が生活の中で身につけた振る舞いを国語科授業によって一旦脱ぐ(unlearn)ことも目指された実践であった。それは,変革しようとする教員の実践研究の結果でもあった。
論文
  • 学び合う実践共同体構築に向けて
    太田 裕子, 可児 愛美, 久本 峻平
    2014 年 12 巻 p. 42-87
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は,チュータリング実践を省察し他者と共有する実践研究の意義を考察することである。筆者らは,ライティング・センターのチューターとしての個人史(以下,「チューター史」)を省察し共有する実践研究を行った。本稿では,実践研究がチューター個人,およびライティング・センターという実践共同体にとってどのような意義があるかを考察した。その結果,「チューター史」を省察し共有する実践研究は,チューター個人にとって,自分の実践知を省察し,拡充し,実践共同体のより熟達した成員としてのアイデンティティを形成し,実践を捉える視野を広げる手段として,意義があった。また,実践共同体にとって実践研究は,チューターの実践知を蓄積し継承し,実践共同体としての実践を発展させ,学び合う関係を構築し,チューターの学びに影響を与える実践共同体の制度や環境を省察する手段として,意義があった。このことから,実践研究は,学び合う実践共同体を構築する方法として有効であることが示唆された。
  • 「つなげられなかった実践」の分析を通して
    家根橋 伸子
    2014 年 12 巻 p. 88-101
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    本稿では「教室で言葉はつなげられるか」との問いのもとに,学習者の自己表現とその協働構築を意図した教室言語活動実践の分析を行った。「つなげられなかった」過去の筆者自身の実践を分析対象に,一学習者の教室活動での自己表現過程を詳細に追跡した結果,学習者の言葉を断ち切っていたものとして①教室で教師が持つ話題選択権・発話順番割り当て権などの権力,②教室で教師が担う教室運営上の役割・責務,③教師・学習者双方の教室での自己表現の回避,があげられた。言葉をつなげることを意図していたはずの教師自身(私)が教室という制度的場にあって,言葉を断ち切る役割を果たしていた。最後に今後の方向性として,現在の制度的な場としての教室を再考し,言葉をつなげることのできる「教室」のあり方を考えていくことの必要性を指摘した。
フォーラム
書評
エッセイ
Regular contents
論文
  • 言語生態学の観点から
    鈴木 寿子, トンプソン 美恵子, 房 賢嬉, 張 瑜珊, 劉 娜
    2014 年 12 巻 p. 125-147
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    急速なグローバル化の進展によって,国境を越えた人々の移動は活発化し,日本語教師の直面する実践現場でも多様化が進んでいる。本稿では,日本語教師が備えているべきとされる「豊かな国際感覚」を,グローバル化社会における人間の福祉に対する感覚と捉え,日本語教師養成プログラムを経た参加者が「豊かな国際感覚」をどのように学んだかを分析した。活動は持続可能性教育としての言語教育に基づき,「日本語教育と自己」,「研究と自己」,「世界と自己」の3つのテーマに沿ったグループ対話活動(全11回)で行った。1名の参加者の認識の変化を分析した結果,この参加者は仲間との対話を経て,他者の視座を自己の視座に取り込み,高齢化が進む母国の状況や,将来担う家族の介護という課題をEPAに重ね,グローバル化社会の内実を認識できるようになったことがわかった。この認識の変容は生態学的リテラシーの育成によるものと考えられ,生態学的リテラシーの育成は,学習者の福祉のみならず,日本語教師自身や日本語教師仲間の福祉の向上の原動力となり得ると考察した。
  • 意味の協働構築を実現するための「自己開示」「自己投資」
    熊谷 由理, 加藤 鈴子
    2014 年 12 巻 p. 148-166
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    多様なコミュニケーションツールが普及し,地域・国境を超えた複数の教室を繋ぐ「テレコラボレーション」が言語学習に取り入れられるようになった(O'Dowd,2011)。それらの実践の多くは「真正な」言語活動の場の提供を目的とし,「繋がり」を持つことの意義が重視されがちである。しかし,単に繋がりを持つだけでは「意味のある対話」を実現することは難しい(Ware,2005)。本稿では,そのような批判を鑑み,米国の私立大学日本語3 年生コースと日本の私立大学教育学部異文化理解コースの履修生で協働実践された「異文化理解プロジェクト」(オンラインディスカッション)の分析結果を報告する。データとして参加者の投稿文,教室内での話し合いの録音,参加者のプロジェクトへの感想を収集し,脱構築的言語文化の視点(Kubota,2003)を枠組みとし,批判的談話分析(Fairclough,2003)の手法で分析を行なった。分析結果から,意味のある対話を実現するためには,「自己開示」「自己投資」が鍵となり,その過程を経ることで「意味の協働構築」が可能となることを論じる。
  • 韓国人日本語教師研修の成果と課題より
    犬飼 康弘
    2014 年 12 巻 p. 167-186
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    本稿では,継続的な授業改善に繋げることを目的とした韓国人現職日本語教師研修で行った2回の模擬授業の変化を量・質両面から分析し,現職教師研修の意義について検討した。量的分析では,授業改善のための反省材料を得るために開発されたS-T分析を行い,質的分析では学習者の自己表現に焦点を当て検討した。その結果,第1回の模擬授業では,過去の実践に依存する傾向が見られる等の原因により,受講教師の潜在的な力量が十分に発揮されていない状況であった。しかし,フィードバック時の模擬授業のビデオ視聴の他,「理想」を追求させることにより,受講教師の省察を促すことができ,第2回の模擬授業では大きく内容が変化した。実際の現場の状況が様々であることを考えると,単純に変化した結果を普遍化して是とすることはできない。しかし,模擬授業を中心とした主体的な授業改善の経験は,所属校での継続的な授業改善に貢献するものであると考える。
  • 視覚器官〈目〉の日中対照を通して
    呉 琳
    2014 年 12 巻 p. 187-197
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    身体部位詞の多義性は多くの先行研究が指摘している問題である。その指導に際して,一つの語に対して複数の語義を教える方法があるが,学習者は様々な派生義や用法を覚えなければならないという点から考えると,記憶の負担がかなり大きい。基本義はどのようなプロセスを経て派生義になったのか。そして,派生した意味同士には関連性が見られるのか。本研究は,こうした多義的な言葉や派生義に関する問題に取り組むことで,日本語教育推進のための基礎研究を試みるものである。以上のような問題意識に基づき,本研究では,視覚器官を表す日本語の「目」と中国語の「眼」を手掛かりにして,身体部位詞の多義性について考察を加える。先ずは,有薗(2013)が日本語の「目」,「耳」,「鼻」の意味拡張を分析するために提示した行為のフレームについて,それが中国語の「眼」にも適用可能であることを示す。次いで,中国語の「眼」の意味拡張を分析し,日本語の「目」の意味拡張と対照する。最後に,両言語の異同を明らかにし,日本語教育への応用について提言する。
  • 文章の様式・題材を中心に
    田中 祐輔
    2014 年 12 巻 p. 198-220
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    本研究は,1960年代から1980年代までに発行され,広く利用された中国大学専攻精読用日本語教科書について,掲載作品の様式と題材に関する計量調査を行い,中国の日本語教育と日本の国語教育との関わりと教科書内容の変遷を明らかにするものである。調査の結果,年代ごとに教科書の内容は大きく異なり,(1)1960年代の日本語教科書に掲載された文章は,国語教科書との重なりが見られ,様式としては「随想」「小説」「民話」,題材としては「文学」「言語」「歴史」に集中していること,(2)1970年代は,書き下ろし作品と中国の事象や作品を日本語で記述したもので構成され,国語教科書との重なりは見られず,様式としては「対談・座談」「紀行・記録」「伝記」,題材としては「文学」「歴史」に集中していること,(3)1980年代は,国語教科書との重なりが見られ,様式としては「評論」「解説・鑑賞」「随想」,題材としては「文学」「言語」「自然科学」に集中していること,以上が明らかとなり,これらには各時期の中国の国内情勢や日中関係の深化の影響もあることが示唆された。
  • スポーツ留学生のライフストーリーから
    三代 純平
    2014 年 12 巻 p. 221-240
    発行日: 2014/12/05
    公開日: 2015/07/24
    ジャーナル フリー
    本稿は,スポーツ留学生を対象としたライフストーリー研究である。スポーツ留学生は,学習への意欲も低く,学習言語としての日本語も身についていないことが課題とされている。また,大学スポーツ界全体で,アスリート学生のセカンドキャリア支援とどう向き合うかが大きな課題となっている。そこで,本研究では,調査協力者2名のライフストーリーから,セカンドキャリア支援と結びつけた日本語教育の可能性を検討する。調査協力者は韓国からのスポーツ留学生でそれぞれサッカー部,柔道部に所属しているが,セカンドキャリア形成へ向けて大学院進学の準備をしている。彼らの語りから,セカンドキャリアへ向けたひとりひとりの歩みのなかに日本語の学びを作り出していくことの重要性を指摘する。さらにそのための日本語教師の役割として,スポーツとは距離をおいてものごとを考える契機を与える「第三の他者」があることを主張する。
編集後記,編集委員会
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