日本消化器内視鏡学会雑誌
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総説
九州の内視鏡先覚者
丹羽 寛文
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2011 年 53 巻 8 号 p. 1957-1978

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抄録

本論文ではファイバースコープの初期頃までに消化管内視鏡の分野で活躍された先覚者と呼ぶに相応しい九州の方々を取り上げてみた.九州の方々としては,(1)九州に本籍がある,(2)九州に生まれた,(3)九州で育った,(4)九州内の学校で学んだ,(5)九州内の医育機関に勤務された方としたが,早く九州を離れた方も含めた.
硬性食道鏡では九大の久保猪之吉の活動が目立ち,硬性胃鏡の時代には同じく九大の三宅 速,宮城 順による本邦最初の報告がある.軟性胃鏡に関しては長崎医大赴任前に中谷が報告している.その後の日本の消化管内視鏡は事実上胃カメラから始まったが,九州内では昭和32年6月第4回胃カメラ研究会に於ける柚木らの報告ならびに同日の第4回消化器病学会九州地方会での佐藤の報告をもって嚆矢とする.
第1回胃カメラ学会は昭和34年6月に開催されたが,この会では熊本大学外科,鹿児島大学佐藤内科,九州厚生年金病院内科からの発表があった.さらに親学会結成前に胃カメラ学会九州支部が設けられ,それ以前には同好会も作られている.
第2回胃カメラ学会総会での九州からの発表者は,やはり大学の方ばかりで,発表者はいずれもその後九州内で指導的立場に立たれた方々ばかりであった.その後地方会も作られた.
学会は昭和36年に日本内視鏡学会へと発展したが,九州地区からの発表はやはり大学が主体で,一般病院からは九州厚生年金病院,鹿児島市立病院に限られていた.
旧制大学は昭和29年に最終卒業生を出したが,内視鏡で活躍された方々は,この年を挟んだ前後数年間の卒業生の方々を主体にしていた.これらの方々は真に先覚者と言える方々であって,それらの活動を詳述した.

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© 2011 一般社団法人 日本消化器内視鏡学会
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