2018 年 60 巻 10 号 p. 2303-2309
症例は73歳,男性.便潜血検査陽性を契機に下部消化管内視鏡検査を施行し,横行結腸に隆起性病変を認めた.拡大内視鏡・超音波内視鏡検査で粘膜下層深部へ浸潤をきたす癌と診断し,生検で中分化型管状腺癌の確定診断となった.外科的腸切除の方針となったが,生検80日後に施行した術前マーキング時の内視鏡検査では病変部の瘢痕化を認めた.腹腔鏡補助下結腸右半切除術が施行されたが,手術標本の病理組織では腫瘍細胞を認めず,大腸癌の自然消退と考えられた.
悪性腫瘍の自然消退は血液癌,皮膚癌,生殖器癌などでの報告が散見されるが,大腸癌では極めて稀である.今回,われわれは,大腸癌が生検後に自然消退したと考えられる症例を経験したので,若干の文献的考察を加え報告する.
症例:73歳,男性.
主訴:なし(便潜血検査陽性).
既往歴:心房細動,高血圧症,気管支喘息,左腎細胞癌(2010年,腎摘出術.明細胞癌,stageⅡ),大腸ポリープ(1997年,内視鏡切除),虫垂炎(虫垂切除術後).
生活歴:飲酒歴焼酎1合/日,喫煙歴なし.
家族歴:父が膵臓癌.
内服:ワルファリン,エナラプリル,メトプロロール,ジゴキシン,ランソプラゾール.
現病歴:心房細動,高血圧症,気管支喘息などで近医通院加療中.1997年,大腸ポリープを内視鏡切除されたが,その後のフォロー検査は受けていなかった.2014年5月の大腸癌検診で便潜血検査陽性を指摘された.同年7月,精査目的に当科紹介・初診となった.
現症:意識清明,身長166cm,体重73.2kg,血圧140/93mmHg,脈拍66回/分・不整,体温36.6℃.表在リンパ節は触知せず.腹部は平坦・軟で圧痛なし,腫瘤を触知せず.その他,理学所見上,特記すべき異常はなし.
血液検査所見:Hb 15.2g/dLと貧血はなく,CEA 1.5ng/mL,CA19-9 5U/mLと腫瘍マーカーはいずれも正常範囲内であった.γ-GTP 88U/L,BS 201mg/dLと軽度高値を認めた他には,特記すべき異常は認めなかった.
初回下部消化管内視鏡検査(Figure 1~3):横行結腸に,径約10mm大の中心に陥凹を伴う隆起性病変を認めた.病変は発赤調で,やや緊満感があり,可動性には乏しく,硬化像がみられた.病変の辺縁は非腫瘍上皮の立ち上がりを有し,NBI拡大観察では,辺縁の血管は拡張しており,陥凹内の血管は拡張・断片化を認め,JNET分類Type 3であった.クリスタルバイオレット染色では,陥凹内は大部分が無構造を呈しており,一部に輪郭が不明瞭なpitも認め,ⅤN型pitと判断した.その他,上行結腸からS状結腸に径2~6mm大のポリープを複数認めた.
下部消化管内視鏡検査(初回,白色光).
横行結腸のほぼ中央に,約10mm大の中心に陥凹を伴う隆起性病変を認めた.病変の辺縁は非腫瘍上皮の立ち上がりを有していた.
下部消化管内視鏡検査(初回,NBI拡大観察).
辺縁の血管は拡張しており,陥凹内の血管は拡張・断片化を認めた.
下部消化管内視鏡検査(初回,クリスタルバイオレット染色).
陥凹内は大部分が無構造を呈しており,一部に輪郭が不明瞭なpitも認めた.
超音波内視鏡検査(Figure 4):下部消化管内視鏡検査と同日に施行.腫瘍は一部に高エコーが混在する低エコーの腫瘤で,病変径は径約10mm,第3層の断裂が疑われたが第4層は保たれていた.
超音波内視鏡検査(20MHz).
腫瘍は一部に高エコーが混在する低エコーの腫瘤で,第3層の断裂が疑われたが第4層は保たれていた.
以上より,粘膜下層深部浸潤癌と診断した.内視鏡切除の適応外病変と判断したため,病変より3箇所生検を施行した.
生検標本病理組織検査:HE染色(Figure 5,6)では,腫瘍は不整管状構造をとり,癒合腺管構造を呈しながら間質へ浸潤しており,中分化型管状腺癌(tub2)と診断された.間質にはdesmoplastic reactionを認め,粘膜下層深部までの浸潤が疑われた.免疫染色では,p53陽性の腫瘍細胞が散在性(sporadic)にみられた.MLH1は,腫瘍腺管での発現の減弱が認められた(Figure 7).
生検組織病理組織検査(ルーペ像).
腫瘍は不整管状構造をとり,癒合腺管構造を呈しながら間質へ浸潤していた.
生検標本病理組織検査(HE,×200).
腫瘍細胞はクロマチンに富む大小不同の類円形核を有し,核分裂像も散見され,中分化型管状腺癌(tub2)と診断された.間質にはdesmoplastic reactionを認めた.
生検標本病理組織検査(MLH1,×200).
非腫瘍腺管に比べて,腫瘍腺管ではMLH1発現の減弱が認められた.
胸腹部造影CT検査:横行結腸の病変は不明であった.所属リンパ節転移,遠隔転移,腹水貯留は認められなかった.
外科的根治手術の方針となり,当院消化器外科に入院となった.初回内視鏡検査から80日目,術前マーキング目的に内視鏡検査を施行した.
下部消化管内視鏡検査(Figure 8):前回腫瘍が認められた横行結腸のほぼ中央部には瘢痕を認めるのみであった.NBIによる拡大観察でも浅い潰瘍と周囲の非腫瘍粘膜がみられ,明らかな癌は認めなかった.瘢痕の口側および肛門側に点墨とクリップによるマーキングを施行した.
下部消化管内視鏡検査(手術前マーキング時,白色光).
前回腫瘍が認められた横行結腸のほぼ中央部には瘢痕を認めるのみであった.
手術までは特に発熱や腹痛などの自覚症状はなく経過し,11月(初回内視鏡から85日目),腹腔鏡補助下結腸右半切除術を施行した.
手術標本病理組織検査(Figure 9):肉眼観察ではマーキングしたクリップの間(#8)に腫瘍性病変は認められず,深切り標本の観察も行ったが,腫瘍成分を認めず,術前に腫瘍は消退していた可能性が考えられた.粘膜下層~筋層には炎症細胞浸潤がみられ,著明な線維化を認めていた.
手術標本病理組織検査(#8)(HE,×20).
標本には腫瘍成分を認めなかった.粘膜下層~筋層には著明な線維化を認めていた.
術後は定期フォローの方針となり,腫瘍マーカー上昇などの再発所見は認めずに経過していた.術後約6カ月,胸水貯留を認め,胸膜生検・胸水細胞診検査が施行されたが,明らかな悪性所見は認めなかった.その後,基礎疾患に伴う心不全増悪のため徐々に全身状態が悪化し,術後約29カ月で永眠された.
悪性腫瘍の自然消退(spontaneous regression)は,病巣に対して効果のある治療をしていないにもかかわらず,完全もしくは部分的に癌が消失する状態と定義されている 1).頻度は,60,000から100,000例に1例程度とされ,極めて稀な現象である 2).今回われわれが経験した大腸癌の自然消退はその中でも特に頻度が少ないとされ,医学中央雑誌で,1977年~2017年までの期間に「大腸癌」「自然消失」「自然消退」「自然脱落」をキーワードに検索し得た,詳細がわかる報告例(会議録を除き,原著論文のみ)の内,癌が完全に消退したと考えられるものは自験例を含めた5例のみであった 3)~6).これに,PubMedで,1977年~2017年までの期間に「spontaneous regression」「spontaneous complete regression」「spontaneous disappearing」と「colon cancer」「colrectal cancer」「rectal cancer」をキーワードに検索し得た,詳細がわかる英文誌の報告例5例 7)~11)を加えると,大腸癌の自然消退の報告例は10例のみであった(Table 1).
大腸癌の自然消失の報告例(医学中央雑誌,PubMed,1977年~2017年.自験例含む).
悪性腫瘍の自然消退の原因としては,免疫学的要因,物理学的要因,遺伝的要因,内分泌要因,心理的要因などが推定されているが 3),5),6),12),詳細は不明である.大腸癌の場合,Table 1に示した10例中9例で,原発巣の組織生検後に癌の消退がみられている.腫瘍の深達度は,いずれも粘膜下層以深と診断されており,通常の粘膜生検のみで,これらの病変におけるすべての癌細胞が摘除された可能性は低いと考えられる.また,本症例では,初回の下部消化管内視鏡検査時にクリスタルバイオレット染色を行ったが,同染色が自然消退に影響した可能性は低いと考えられた.
本症例では,後に施行した外科手術標本の病理組織で,粘膜下層~筋層断裂を疑うような著明な線維化を認めた.Table 1に示したこれまでの報告で,自然消退と線維化について言及している報告はないが,10例のうち,7例で粘膜下層や筋層の線維化を認めており,組織の線維化と自然消退に何らかの関連がある可能性が示唆される.病変の大きさは,すべての症例が径30mm以下であり,生検個数に関して記載した報告例は3例のみであるが,いずれも複数個の生検が行われている.このことから,大きさ径30mm以下の浸潤癌に対する組織生検が,組織の線維化に何らかの形で関与し,癌の自然消退をきたしうる可能性が考えられた.また,大腸において生検後に組織の線維化が生じる現象は癌の自然消退以外の場合でも報告されている.内視鏡的粘膜切除術で,治療前の組織生検により粘膜下層と固有筋層の遊離が困難となった報告もみられ,生検での組織傷害に対する治癒機転により線維化が生じると考察されている 13).
大腸腫瘍脱落に関しては亀水らが,生検施行などの物理的刺激以外の要因として,主病巣増大による相対的虚血,腸蠕動亢進による機械的刺激,腫瘤のねじれによる虚血を指摘している 4).
また,大腸以外の消化管でも,癌の自然消退の報告は散見され,白苔を伴う径7cm大の巨大な胃癌が脱落し,病理組織で同部位に著明な炎症細胞浸潤を認めていたという報告 14)や,潰瘍形成を伴う複数の胃悪性リンパ腫が,瘢痕化に伴い縮小を認めた 15),との報告がある.また,皮膚科領域では,辻らがメルケル細胞癌の自然消失について検討しており,炎症細胞浸潤が高度の場合には腫瘍免疫の関与で腫瘍細胞が変性・壊死することや,腫瘍細胞自体が何らかの要因でアポトーシスを起こすと考察しており,生検の刺激がその契機になったと報告している 16).婦人科領域では,Stephensonらが悪性腫瘍の自然消失のうち,28%が遷延する発熱後に生じたと報告し,Challisらは遷延する敗血症が患者の免疫学的応答を活性化し,腫瘍に対する免疫を強化している可能性を推定している 17),18).
以上より,本症例では生検後に発熱や腹痛などの自覚症状はなかったが,生検を契機とした局所での免疫応答が筋層まで及ぶ炎症反応とそれに伴う線維化をきたし,癌の自然消失に関与している可能性が示唆された.
また,Table 1に示したこれまでの報告では,腫瘍の占拠部位は10例中8例で右側結腸である.本症例では,生検標本病理組織検査における免疫染色で,腫瘍細胞のMLH1発現の減弱を認めた.
hMLH1はミスマッチ修復遺伝子と呼ばれ,その遺伝子異常を有する大腸癌はマイクロサテライト不安定性MSI(microsatellite instabitity)陽性大腸癌と呼ばれる.MSI陽性大腸癌は,右側結腸に多く,腫瘍包巣内に浸潤するリンパ球や,癌の浸潤先における巣状のリンパ球浸潤が特徴とされている.これまでの自然消退の報告において,MSIに関して記述されているものはないが,本症例のようにMSI陽性大腸癌では,リンパ球浸潤などの免疫応答が,自然消退に何らかの形で関与している可能性が考えられる.
癌の自然消退と考えられても,その一部の遺残を認めたり再発したりする報告も散見される.佐久間らは,1983年~2008年までの期間で医学中央雑誌にて検索しえた大腸癌の自然脱落症例3例中1例で再発を認めたと報告している 19).また,芹澤らも,内視鏡的に腫瘍の存在は確認できなかったが,手術標本で粘膜内および粘膜下層に癌細胞を認めたと報告している 20).これまでの報告では,病変部が瘢痕化している症例が多いが,内視鏡的に癌の自然消退を疑ったとしても,粘膜下層もしくはそれ以深に腫瘍が遺残している可能性がある.本症例のように初回の内視鏡観察で粘膜下層深部へ浸潤する癌を診断した場合は,自然消退を疑う場合であっても経過観察ではなく,積極的に手術療法を検討するべきと考えられた.
生検後に形態変化・消退の経過をたどった大腸癌の症例を経験した.大腸癌の自然消退は極めて稀な現象であるが,生検の刺激を契機とした免疫反応が関与した可能性があると考えられた.また,今回の検討から,MSIが自然消退に何らかの形で影響している可能性も示唆され,今後の症例蓄積が望まれる.
本論文内容に関連する著者の利益相反:なし