本稿では,第二次世界大戦期周辺における都市内部構造研究,具体的にはHoytの扇形モデルと,HarrisとUllmanによる多核心モデルが提起されたプロセスと背景を検討した.世界大恐慌,そして第二次世界大戦による研究活動や資料利用の制約の下で,これらのモデルは,軍務やビジネスといった実務を通じて得られた資料や議論を通じて構築された.一方,ShevkyとBellによる社会地区分析の出現は戦後,これらの制約が解消され,資料公開の進展や分析技術の発展によって研究者に新たな地平が開かれたことを示す,象徴的な成果であった.