抄録
鹿島半島南部の砂丘地には特異な景観をなす堀下田が分布する.この開発には多くの労力を要した.またその維持経営は農民の苦闘によって支えられたが,不安定であった.天水田である堀下田の維持はこの地方特有の「床下げ」作業によって行なわれた.作業は農閑期の寒中になされ,10a当たり50人前後の労力が必要であった.1932年頃から打込井戸によって行なわれた地下水利用は十分なる効果をあげることが出来なかった.これが戦後の農民の手に得易くなった発動機,揚水機の普及によって効果を発揮し,「床下げ」は終焉し,堀下田経営も一応の安定をみせるようになった.他方堀下田の安定のために導入された発動機,揚水機は畑地にも利用され,畑地灌概が普及し,積極的な畑作経営を生むに至った.この地域が疏菜(果菜)類の促成栽培地として知られるようになったのはそのためである.しかるに鹿島臨海工業地帯造成計画などの事業計画はこの地域の姿を変えようとしている.