抄録
近世において,片品川流域の山村は二面的性格を持っていた.現代の山村は「山間における農業集落」という性格だけである.近世山村は,ある期間には林業集落となり,林業がおとろえると農業集落になるという二面的性格の半面をかわるがわるに展開させた.しかも林業集落の時期には人口収容力が大きくなり,人口も戸数も農業集落の時期より約2倍にも増加し,食料需要が大きくなり,焼畑がさかんに開拓されたP林産がへると人口が減少し,焼畑は耕作放棄されて林業集落から農業集落に変っていった.
片品川流域において,近世に「林業集落から農業集落へ」という変化が2回も出現した.片品川流域の主な歴史的事象一真田藩の寛文検地,茂左衛門の直訴,幕府領としての貞享検地,土岐藩の「みどり事件」一は山村の2面的性格の出現過程において理解しなけれぽならない.封建的林野制度の下につくられた山村には現代資本主義的林野制度の下の山村とは異なる性格があったことを知れば,林野制度を変えれぽ未来の山村の性格も現在の山村と異なるものになるだろうことも考えられる.