抄録
肥前名護屋は,豊臣秀吉による朝鮮遠征の大本営である.だがこの本営は,たんなる軍事基地ではない.長期在陣の故に,軍事的なるものと集落的なるものが結合した巨大な基地の町であり,加えて戦国期より近世への移行期の城下町的特質をあわせ具有する.衆的屋敷集団や族団的屋敷集団は,恐らくここにおいてのみ,その現実の景観が知られるのであろう.都市構成諸要素のうち,基本的なものはもとより基地の町の要素である.同業者町の異様な出現,戦国中期の古い位相をもつ街区の構成と景観,なによりも諸要素の与えられたままの配置と結合,つまり軍都的視点を異常に強調した都市構造が指摘される.名護屋は決して城下町ではない.それは城郭をもつ大基地の町であり,いずれは消えゆく宿命の町である.これらを,名護屋城図屏風を主な資料として分析検討する.